ラグビーW杯、史上最大の番狂わせはなぜ起こったか?
現地入り。4月から8月まで宮崎で2部練習、3部練習は当たり前の猛練習を重ねてきたチームは、全体練習の量を落として身体の鮮度を取り戻す。ジョーンズHCらスタッフ陣のピーキング作業である。 直前期には、ずっとチームに帯同してきた荒木香織メンタルコーチが「やってきたプレーを信じる」「緊張は当たり前。それをパフォーマンスに変えるように」と説く。フランカーのリーチ主将は後に、この瞬間を「とてもいい仕事をしてくれた」と振り返ることとなる。 当日の朝。ジョーンズHCはフランカーのリーチ主将に言った。「お前の好きなようにやれ」。相手が反則した際のプレー選択についてだ。序盤から中盤は、「ゴールキック成功率85パーセント」を目指すフルバック五郎丸副将のペナルティーゴールで、着実に加点…。その判断の根拠を作った。 指揮官は指揮官で、メンバーチェンジの際に鼻を利かせただろう。特に後半5分から登場したナンバーエイトのアマナキ・レレイ・マフィは本物のインパクトプレーヤーだった。ピッチに出るなり相手の巨漢プロップ、ヤニー・デュプレッシーを真正面からぶっ飛ばし(「(できると)わかっていたよ」と笑顔)、持ち味の馬力で苦戦していたモールディフェンスの潮流も変えた。 試合の焦点のひとつとされていたスクラムでは、やや押し込まれる場面もあったが概ねイーブンだったか。マルク・ダルマゾコーチ提唱の「全員の足の向き方にまでこだわる」という一体となるための型をベースとしながら、フッカー堀江副将が実際に組むごとにマイナーチェンジを施す。南半球最高峰のスーパーラグビーで南アフリカ勢と組み込んだ経験があったフッカー堀江副将は、かねて「まとまりゃ、押せる」と断言していたものだ。 夕刻。皮肉屋揃いの記者席すら沸くノーサイドの瞬間。3大会目の出場で初白星を得たロック大野均は、感涙した。「宮崎でキツい合宿を続けてきたので。最後まで南アに勝つ、とずっと信じ続けられた」と満足げに振り返ったのである。 ハイネケ・メイヤーヘッドコーチ(HC)は嘆く。「私たちは反則が多かった…。ストレートにプレーすべきだった」。南アフリカ代表には、人種問題があった過去から選手選考への政治的圧力がかかる傾向があった。一般論としては好きに選手を選びづらい状況で、直前のゲームでもやや負けが込んでいて、この日は、大会全体を見据えてベストかどうかはわからないメンバー構成で臨んでいた。 故障明け後の復帰戦となった71キャップ目(国同士の真剣勝負への出場数)のスクラムハーフ、フーリー・デュプレア、最近の主力格だったスタンドオフのハンドレ・ポラードは終盤になって登場。が、プレッシャーを受けていたという周囲とは連動しきれなかった。「この試合をどう見なしていたのか」。記者会見で起用法に関する厳しい叱責が飛ぶ。メイヤーHCは「責任は私にある」と声を絞るのみだ。 不出来に嘆く南アフリカ代表に対し、日本代表が、チームの積み重ねと戦略性を示したのである。グロスターで中3日という過密日程のもとおこなわれるスコットランド代表戦へは、コンディション調整など複数の問題はあろう。ただ、スタンドオフ小野は言った。 「ロッカーに帰ったら、もう『クォーターファイナル』という言葉が出ていた」 南アフリカから大金星を挙げたが、残り3試合に全て勝てるとは限らない。ただ、誰よりも選手自身がその現実を理解していた。 (文責・向風見也/ラグビーライター)