「治癒は後でも、今ケアする」認知症発症率は子どものころの生活も影響、患者と介護者が今からできること
認知機能の検査方法
この調査では、一次調査のスクリーニングとして調査対象者のほぼ全員にMMSE(Mini-Mental State Examination)という、有効性が検証された方法を用いていた。MMSEは複数の質問や指示への反応を点数化して合計する検査で、1975年に公表されて以来世界中で使用されてきた認知機能スクリーニングの標準的検査である。私もカナダで専門研修していた90年代には何度も使用した。 日本では、改訂長谷川式簡易知能評価(HDS-R)が認知機能の検査により使われている。HDS-Rが記憶力に重点が置かれているのに対し、MMSEでは言語能力や視空間認知能力も評価できる。 ただ、2011年に発表された米国の医学雑誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)』の論考によると、2000年ごろからMMSEの考案者らが著作権を主張して、MMSEの使用にはライセンス料(1検査あたり1.23米ドル)がかかるようになり、MMSEが公の場からは姿を消しつつあるようだ。現在はどうなっているのだろう。 著作権保護と科学的知見の公共性とのバランスは難しい。日本の診療ガイドラインの閉鎖性にはしばしば辟易するが、これも類似の問題である。
推計から予防へ
今回の報道を見ていると、推計結果のように認知症と認知症予備軍ともされるMCIが今後増えていけば、一人暮らしなどで家族の支援が限られる中で、地域でどう支えるのか、不足する「介護力」への対策を進めなければならない、というメッセージがメインだった。でも、それだけで良いだろうか。 「1オンスの予防は1ポンドの治療に値する」と言ったのは、ベンジャミン・フランクリン(1706-1790)である。避雷針の発明やアメリカ建国の父として有名な彼が、一体どのような文脈でこれを言ったのかはわからないが、質量の単位1ポンドは16オンスに相当するので、これは「予防は治療にまさる」という意味である。 「予防にかける費用は、予防せず治療が必要になって失う費用に比べればはるかに安い」とも言える。これは認知症についても当てはまる。報道では認知症のこれから必要になる「治療」が強調されていたが、もっと今のうちにできる「予防」について取り組まなければならない。 こうした意味で、新聞記事としては若干古くなるが、2023年8月7日付で日本経済新聞に発表された『認知症新薬が教える予防の大切さ 要注意の12リスク』と題する記事は優れていた。 23年1月の『認知症新薬「レカネマブ」への期待と懸念』でも扱ったように、昨年は日本でも新薬への期待が高まっている最中だった。しかしその時に、「それ(新薬)は発症を遅らせる時『時間稼ぎ』にすぎないという現実を忘れるわけにはいかない。そして注意すべきは若い世代から抱える発症リスクだ。もっと発症リスクに目を向けよう。その中には個人で対処できないリスクもある。社会全体でのリスク低減策も必要だ」と書いていたのだ。 個人レベルだけでなく社会(地域住民、ポピュレーション)レベルでのリスク低減を視野に入れていたのは慧眼である。日本では、予防的介入のほとんどが保険診療報酬でカバーされないこともあり、医師には予防へのインセンティブが働きにくい環境になっている。日本の保健医療制度で世界の潮流から取り残されているものの最たる例のひとつである。