日本はそもそも「民主主義」なのか? 「沖縄」に向き合ってこなかった国の現実
政治を楽しくエンタメするコンビ・ヒルカラナンデスが、ドキュメンタリー映画第二弾『シン・ちむどんどん』をつくった。第一弾『劇場版 センキョナンデス』からわずか4ヵ月後、劇場公開年2本の快進撃。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 筆者もかねてより、学生や友人に紹介したり、パロディイラストを添えたチラシを研究室に貼ったり、クラファンで応援したりと、“ヒルマニア”と呼ばれるファンの一人として地道な活動を続けてきた(が、「マニア」と呼べるほどなのか自信はない)。ヒルマニアには遠方まで“追っかけ”をする人もいるみたいだよ、と研究室で学生に話していたとき、そういえば聞かれたことがある。政治や選挙という敷居が高いコンテンツにアイドルみたいなファンダムができるのはなぜ? 彼女は全国へ飛び回る自称「乃木坂のドルオタ」で、ヒルマニアは自分にそっくりだと口にしていた。 ドルオタ学生のこの問いに答えるべく、5月には第二弾の配信とDVD販売が始まり手軽に鑑賞もしやすくなったこの機会に、自称ヒルマニアとしてその魅力や意義について振り返ってみたい。
「日本の民主主義」を活写
ヒルカラナンデスはラッパーのダースレイダーと時事芸人のプチ鹿島による時評風刺ユニット/番組。コロナ禍に週一回金曜のYouTube配信を始め、ゲストを迎えた座談イベント+配信を実施してきた。配信コンテンツをドキュメンタリー映画化したシリーズ第一弾は『劇場版 センキョナンデス』として公開され、「地方メディアが牛耳る選挙」と「安倍元首相銃殺事件」を焦点に「日本の民主主義のかたち」を活写した。 いっぽう本作の舞台は沖縄。2022年の沖縄県知事選への取材を通して、沖縄を踏み台にしつつアメリカとの従属的地位を維持する、“主権”国家日本の民主主義のありようが浮かび上がる。 『シン・ちむどんどん』というタイトルは絶妙だ。なんとなくわかるようでわからない。一聴してパロディだということはわかるが、その意味するところがすぐには腑に落ちない。元は番組での即興漫才的なかけあいの中で生まれタイトルへと採用されたこのタイトルは、ヒルカラナンデスが持っている「風刺の笑い」と「社会時評」という特徴を見事に言い表している。悪魔合体されたこのキーワードを手がかりに、作品の特徴について読み解き、同時に作品をとりまく社会背景といったコンテクストについて考えてみたい。