「自分しか、この人を守れる人間はいないという悲しさ」...愛する妻を64歳で亡くした夫が「いっそ自分も」という気持ちに抗い続けている「理由」
妻に看取られて、あの世に送ってもらえる─なんの根拠もなくそう考えている人も多いのではないか。でも人生はままならない。ひとりで暮らす先人たちの知恵に学ぼう。 【画像】なぜこんなに違いが?都道府県別「がんの死亡率・罹患率」ランキング
いっそ自分も
伴侶と別れて、男ひとりのやもめ暮らしになれば、それまでの生活は一変する。しかし、それは自分を変える機会でもある。別れを乗り越え、変化を受け入れれば、いままで見たことのなかった世界が広がる。 現代短歌を代表する歌人で細胞生物学者の永田和宏さん(77歳)は、14年前、同じく歌人だった妻の河野裕子さん(享年64)を看取った。乳がんだった。 歌壇では「おしどり夫婦」として知られるほど仲が良かっただけに、悲しみは深く、「いっそ自分も……」と思い詰めることも幾度となくあったという。しかし、永田さんを思いとどまらせたのは、妻への想いだった。 〈わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ〉 妻の死に寄せて作った一首だ。永田さんが語る。 「死者は、生きている人間の記憶の中でしか生きられません。河野裕子のことを一番知っている僕が死んでしまえば、河野はもう一度、本当に死んでしまうと思ったんです」
自分しか、この人を守れる人間はいない
そこから永田さんの新たな生活が始まった。時間を見つけては、ひとりで黙々と妻が残した歌や言葉を読み込み、闘病記『歌に私は泣くだらう』にまとめたのだ。 「歌を読んでいるとありありと彼女の姿が思い出されます。歌は単なる文章と違って、作っていたときの情景がリアルに浮かび上がってくる。あのとき、あんな表情をしていたなと、ひとり部屋の中で思い出しています」 河野さんの生前、家事はすべて任せきりだった。しかし、永田さんはいまでは家事全般をこなし、料理も自分で作る。 「出来合いのものが苦手でね。たまに友人と外食することもあるけれど、基本的には自分で作っています。河野は僕が何もできないと思っていたから、今の僕の姿を見せてやりたいですよ。きっと惚れ直しているでしょう」 自ら家事をするようになり、妻の作品への理解はより深まっていったという。河野さんが作ったこんな歌がある。 〈わたししかあなたを包めぬかなしさがわたしを守りてくれぬ四十年かけて〉 河野さんの生前にも読んだことがあったが、そのときとは全く違う印象を受けたという。 「自分しか、この人を守れる人間はいないという思い、その悲しさが、彼女自身を支えてきたのだと。これは、ひとり暮らしをするようになり、ありありと実感するようになりました」 妻が残してくれたのは歌だけではない。いま永田さんは2匹の猫と生活している。 「河野は猫が大好きでした。生前飼っていた2匹の猫は死んでしまったのですが、この1年で新たに2匹飼い始めました。猫はかわいいですね。見ているだけで安らぐ」 永田さんは多忙だ。細胞生物学者としては、日本医療研究開発機構の研究開発統括にJT生命誌研究館の館長、歌人としては宮内庁の御用掛や歌会始、朝日歌壇や自ら手掛ける雑誌の選歌もある。そんなときには離れて住んでいる娘が、猫の面倒を見てくれる。 「実はいまが一番忙しい。河野が生きていたらなんと言うか……。だから悲しむ暇なんてないんです」 ひとりになってやるべきことが増えた。しかし、そのぶん永田さんは充実した日々を送っている。 「週刊現代」2024年6月8・15日合併号より 2つめの記事『「ファミリーヒストリーを作る」...シンガーソングライターの嘉門タツオさんが妻の死を受け入れられるようになったきっかけと「65歳で抱いた夢」』につづく。
週刊現代(講談社)
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