一体どこが「自己責任」なのか?社会から忘れられた悲しい存在「就職氷河期世代」の無念の歴史
いつしか社会から忘れられた存在に
経済成長がストップしてしまった以上、会社は大きく成長しません。正社員の数は限られますし、そもそも正社員を養うコストも会社は削りたい。 すでにいる団塊の世代の正社員については雇用は温存しながら賃上げはほとんど行わず自然減でコストを減らし、一方で本来であれば新陳代謝すべきところに入ってくる新入社員をできる限り絞りました。 あるいは、コストを圧縮できて業績のよしあしに応じて募集も解雇も容易な正社員でない形での採用が増えました。 折しも、派遣法の改正で製造派遣など業種・職種の拡大が行われ、企業経営者からすると派遣社員の使い勝手が格段に良くなったところだったことも、こうした流れに拍車をかける要因になりました。なお、この場合の使い勝手とは、コストを抑えて働き手を確保できるという経営者側から見ての「使い勝手」です。 いずれにせよ、正社員の門戸は狭まりましたがゼロではなかったので、上の世代は正社員になれず進路に悩む若者たちに対し「自己責任」「努力が足らない」などと非常に冷たくあたりました。 当時、氷河期世代の親たちは団塊世代でなんとか雇用を維持された正社員でしたから、実家から出て独り立ちすることも金銭的に難しかった若者はそのまま実家に居残りました。これを「パラサイト・シングル」*などと揶揄するように報じたメディアも多くありました。 *社会に出た後も経済的自立をせず、実家で暮らす独身者。 年を重ねた現在も同じように「子ども部屋おじさん(こどおじ)」などと揶揄する向きもあるようですが。 一方、非正規で採用された人たちはスキルアップをしようにも、日々の労働で精一杯。正社員と違い、勤務先の金銭面、時間面、福利厚生面でのバックアップも心許ない中で時間だけが過ぎていきます。 そのうちに2006年、07年あたりの時期には、リーマンショック*前のつかの間の好景気を迎えますが、その恩恵は一世代下の新卒者にわたり、わずかな転職のチャンスをつかんだ人間以外は社会から忘れられた存在となりました。 *米大手証券会社・投資銀行リーマンブラザーズの経営破綻を発端として、2008年9月に起こった世界的金融危機・不況。 新卒で正社員として採用されたか非正規だったかなど、社会に出た年のわずか1年、2年の差で残酷なほど就職活動の苦労の度合いが異なることがこの世代の特徴です。 そしてリーマンショック、民主党政権。超円高で中間層以上は海外の品物が安く買え、海外旅行も身近になりましたが、企業は生産拠点を次々に海外へ移転させ、国内の就職先が消えていきました。 「派遣切り」*が流行語になるような状況に最も翻弄されたのが、他でもない就職氷河期世代の非正規労働者たちだったわけです。 *経営状態の悪化等を理由として、企業側が派遣契約を打ち切り、派遣社員が失業すること。