【対談】アクションを撮り続ける映画監督・阪元裕吾×ホラーを作り続けるテレ東P・大森時生「人間のリアルを描こうとしたら、ホラーやアクションになった」
阪元 それも見て、どんどん完成していってるなって感じました。『イシナガキクエ』はアイデアだけじゃなく、仕掛けや物語のピースがハマった感じがあって。 大森さんの作品の中で珍しく、謎をひもといていく解決編があるのが面白くて。今まではなかった部分なので、そこが単純に楽しめましたね。 大森 余白のある作品が世の中にはやってありふれてしまったので、ちゃんと物語にする必要があると思ってました。 阪元 ただ、最後だけ、ほんまに意味わからない部分があって「やっぱ意味わからん!」ってなりました(笑)。 ■ドキュメンタリーはフィクションかノンフィクションか ――阪元監督の作品には、『最強殺し屋伝説国岡[完全版]』というひとりの殺し屋の日常や仕事の様子を描いたモキュメンタリーもあります。モキュメンタリーもおふたりの共通点ですよね。 阪元 自分は高校生のときからモキュメンタリーを撮っていました。友達が三重県に自転車で行く様子を撮影したのが最初で、ただ撮るだけじゃ面白くないなって思って、「多くの人がチャリの旅に行きたがったためにオーディションが開かれた!」って設定をつけたんです。それが映画製作の始まりです。 大森 ルーツすぎますね(笑)。すごくいい話だ。 阪元 演劇部に入っていたんですけど、演劇に辟易(へきえき)していたのでその逆張りだったのかもしれないですね。演劇ってドキュメンタリーの対極じゃないですか。 大森 というと? 阪元 高校生の演劇なんか近所に住む友達しか見にこうへんじゃないですか。だったらもう別に大阪弁でええやんって思っていたんですけど、地区大会や府大会でも東京弁でしゃべってて、しかも社会問題を暗喩する題材の演劇が多くて、それを見て審査員が喜ぶ、みたいな。 そういう違和感にずっと腹立ってたんですよ。俺は自分が面白いと思ったことをやりたいのに。そもそも演技が「フィクションをノンフィクションのように見せる行為」だとしたら、ドキュメンタリーは「ノンフィクションをフィクションのように見せる行為」だなって。 大森 確かによくできたドキュメンタリーってフィクションを見たときと同じカタルシスがありますよね。大学生の頃、原一男さんがめちゃめちゃ好きで。『ゆきゆきて、神軍』(87年)で奥崎謙三さんという元軍人を追って、さらに原一男本人が自ら出てくことによっていろいろな衝突を無理やり生み出していくっていう方式がおもろいなと思って。 もちろんノンフィクションなんですけど、フィクションでもあるじゃないですか、面白いドキュメンタリーって。あの「おお!」って感じは、もうフィクションと変わらないなって思っていて。 僕自身は現場に行って殴られたりするのは怖いし痛いのはイヤだけど、ああいうヒリヒリ感をフィクションでも作ることはできるんじゃないかと思って、フェイクドキュメンタリーを作り始めたってのはあるかもしれません。 ■ダンスも歌もアクションのひとつ ――おふたりは、それぞれ「ホラー」と「アクション・バイオレンス」というジャンルに取り憑(つ)かれている?