「おっとりしたところも」「最初は手塚治虫さんをまねして」 幼なじみが明かした「楳図かずおさん」“恐怖漫画の第一人者”までの道のり【追悼】
「今度は自分が作品」
95年、「14歳」の連載終了後、腱鞘炎を理由に休筆。紅白の横縞シャツ姿でテレビのバラエティー番組に出演、今度は自分が作品と語った。 2018年、フランスのアングレーム国際漫画祭で永遠に残すべき作品として「わたしは真悟」が遺産賞に輝く。受賞を機に、101枚の連作絵画「ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館」を22年に発表。27年ぶりの新作で大規模な美術展も開かれた。 「去年12月、五條の中学校で講演をしてくれた。生徒の出した手紙に応じたんです。有名人になっても全く変わらない」(井上さん) 7月に進行した胃がんが見つかる。手術はせず、10月28日、88歳で逝去。 結婚せず恋愛にも興味はないと語っていた。8月には著作権を管理する一般財団法人を設立していた。
「週刊新潮」2024年11月21日号 掲載
新潮社