「18歳で死ぬよ」誕生とともに余命宣告から始まった人生 落語家・三遊亭あら馬「あなたの保険証がほしい」でプロポーズし
生まれた瞬間に18歳までの余命宣告を受けた落語家・三遊亭あら馬さん。「いつ死ぬかわからないなら、やりたいことは全部やって太く短く生きよう」とアナウンサーの夢を追って東京へ。そんな彼女の波乱万丈の人生は幼少期から始まったそうです。(全4回中の1回) 【写真】余命宣告を受けた18歳を生き延びた女優時代の三遊亭あら馬さん(全21枚)
■「どうせ短い人生なら、太く生きたい」 ── あら馬さんのお生まれは鹿児島とのことですが、どのような幼少時代でしたか? あら馬さん:0歳のときからやさぐれて生きてますね(笑)。私は生まれつき難病の胆道閉鎖症を抱えていて、生まれてすぐに手術を受けたんです。胆道閉鎖症は、肝臓と十二指腸をつなぐ胆管がふさがり、肝臓から腸へ胆汁を出せない難治性の病気です。 私の場合、胆嚢を取り除いて肝臓と腸を直接つなぐ葛西手術を受けました。当時、この病気で生きられている方の最高年齢が18歳だったので、「18歳で死ぬよ」と宣告されたんです。
── それは衝撃的ですね。 あら馬さん:はい。なので、幼いころから「自分はいつ死んでもおかしくない」「どうせ短い人生なんだ」と考えるような子どもでした。とはいえ、私には弟がひとりいるんですが、私が病気だからといって親から特別扱いされることはありませんでした。むしろ、まるで長男のようにたくましく育てられたんです(笑)。 ── 病気との闘いは大変だったのでは。 あら馬さん:そうですね。小さいころから入退院をくり返していました。肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれるほど普段は痛みを感じないんです。ただ、ストレスが溜まると高熱を出したり、突然倒れたりすることがありました。特に大事なイベントやオーディション前には決まって体調を崩していましたね。
学生時代は、「なんでこんな体なんだ」と思うことが多く、病気のつらさをわかってもらえないという気持ちから母に反発していたんです。その一方で、正義感は人いちばい強かった。間違ったことがあれば男子相手に口ゲンカでなぎ倒すようなこともありました(笑)。「お前たち、そんなの許さないぞ!」と。生徒会活動にも積極的で、常に前に出るタイプでしたね。 ── 18歳を超えたときの気持ちはどうでしたか? あら馬さん:正直、「医者は嘘つきだな」と思いましたよ(笑)。だって生きているんだもん。でも、同時に「18歳を超えられた」という大きな達成感もありました。小さいころから「18歳で死ぬ」と考えていたので、18歳を過ぎてからは「どうせいつか死ぬなら、悔いのない人生を送ろう」「太く短く生きるために、やりたいことは全部やろう」という思いが膨らんでいましたね。そして、その思いを叶えられる場所が私にとって東京だったんです。