人生の行き先を決めるのに、早すぎることはない
■人生の行き先は早くに決めたほうがよい 編集部(以下色文字):キャリアが多様化したことで働き手の可能性が広がった一方、選択肢が増えたからこその悩みを抱える人たちもいます。柳井さんは人生の「行き先」という表現を用いて、生涯を賭けて追求すべき目標を定めることの重要性を説いてきました。それぞれの人生の行き先をどのように決めればよいのでしょうか。 柳井(以下略):人生の行き先がどのように決まるかは偶然でもあり、必然でもあります。私はこれを言い続けてきましたが、自己実現の可能性は与えられたものの中でしか見つけられません。何を与えられるかは偶然によるところが大きく、どのような経験をし、どのような人と出会い、どのような機会を得られるかは、一人ひとり異なります。ただし、その中から可能性を見出すしかないと考えれば、人生の行き先は必然で決まるといえます。 重要なのは、自分の行き先をできるだけ早くに決めることです。私は作家の邱永漢(きゅう・えいかん)さんと親しく、彼の生前、著書にサインをもらった時、心に深く刺さる言葉をいただきました。「年を取るとは、自分の可能性が一つずつ消えていくこと」。まさにその通りで、いまもそう思います。 特に若い時は、時間が無限にあり、自分の可能性も無限にあると思い込んでいます。死ぬことなど考えず、さしたる能力もないのに、ひょっとしたら何かできるかもしれないと信じている。それは曖昧で、ぼんやりしたものです。そのままただ年を重ねていけば、本物の可能性がどんどん消えていき、気づいた頃には何もできなくなります。天命を知るのに、早すぎることはありません。 柳井さん自身は、自分の行き先をどのようにして決めたのですか。 私も最初から目標を持てていたわけではありません。大学を卒業し、家業の紳士服店で働き始めたばかりの頃は、仕事をしないで生きていくことばかりを考えていました。 当初はそれでもやっていけました。地方の商店街で高級紳士服を扱う店でしたから、1日に10点も売れたら十分です。ただ、毎日同じことを繰り返すのであまりに暇で、家に帰ってもやることがなく、本ばかり読んでいろいろと考えていく中で、本当にこのままでよいのかと思い始めました。 自分の中で意識が大きく変わったのは、結婚して、子どもが生まれてからです。私は24歳で結婚し、25歳の時に長男が誕生しましたが、家族ができたことで「自分はこれからどうありたいのか」「子どもたちにどのような将来が訪れてほしいのか」を真剣に考えるようになりました。 時代の変化もありました。その頃、店があった山口県宇部市の商店街は衰退を迎えていました。宇部は炭鉱業で栄えた街で、私が中学生の時にエネルギーの主役が石炭から石油に移行してからは、セメントの街として発展を続けました。しかし、地方の工業都市そのものが衰退していく中で、商店街も徐々に活気を失っていき、自分が店を継いだ頃には、郊外のショッピングセンターが購買の中心となっていました。 まさに偶然かつ必然だったと思いますが、個人としても、経営者としても、まだまだこれからという時に限界を迎えたことは、いま考えれば幸運でした。年老いてから追い詰められていたことに気づき、そこから抜け出そうと必死になったとしても、選択肢はほとんどありません。 私たちはキャリアを積む中でさまざまな目標を立てますが、通常の目標と人生の行き先との違いはどこにあるのでしょうか。 人生の行き先を決めるということは、自分の終着点を決めるということです。終着点は、その時点で到達できないほど遠くになければ意味がありません。私自身、いま考えると無謀な目標だったと思いますが、地方の紳士服店のぼんくらな2代目が、「せっかくやるのだから、行き着くところまで行こう」と決めました。 夢や理想や志は何か。自分の人生がどのような形になるべきかと深く考え、せっかく生きる以上は、それを実現できるように努力すべきです。頭の中で考えることはいつでも自由にできますから、仕事をしている時間だけでなく、「自分は何になりたいか」と問い続け、できるだけ早くに行き先を決めて、常に意識しながら生きていくべきだと思います。 自分の置かれた環境や状況が変わることで、夢や理想や志も変化しそうなものですが、柳井さんの中でそれはありませんでしたか。 ありません。この商売で行き着くところまで行こうと決めました。それをはっきりと決められたことが、最大の勝因だと思います。 ■できることに集中し、誰よりも先に実行する 柳井さんはこれまで、弊誌[注]を含むさまざまな媒体を通して、若い人たちに向けたメッセージを発してきました。厳しい言葉の裏側には、若者に対する期待も感じさせます。 私は学生時代、自分はとても恵まれた環境で暮らしていると思っていました。それほど大きくは儲からないけれど、実家は商店街の中ではそれなりの規模で商売をやっていて、いつでも帰ることができたからです。 では、いまの人たちはどうでしょうか。何か始めようとした時、そのために必要なものやほしいものは何でも揃えることができます。私よりも恵まれていて、もっと頑張れば、もっと大きなことができるのに、なぜやらないのかと思ってしまうのですよ。 ただ、もしかしたら、いまの人たちは最も恵まれていないのかもしれません。満たされた環境では、自己実現の可能性を探ろうとする意識を持ちにくく、自分自身の可能性にいつまで経っても気づけないからです。 私は常々、恵まれない環境にいる人だからこその有利はあると思っています。何もかも満たされて恵まれている人は、これから先も恵まれた環境が続くはずだと錯覚します。一方、そうでない人は世の中がいかに移ろいやすいかを理解し、みずから環境をリードしようという意識を持ちやすく、自分の頭で考え、求め、行動します。自分から動き出さない限り、何も得られないからです。 商売の大先輩として、私は松下幸之助を大変尊敬していますが、彼は家庭の事情で尋常小学校を中退し、丁稚奉公に出されました。環境に恵まれたとはいえず、学びの機会を十分に得られなかった人物が、日本の歴史上、最も偉大な経営者の一人になったということです。同じ時代に恵まれた環境で育ち、東京のように商圏の大きな都市で事業をしていた人たちはどうですか。いまも残っている会社がどれだけあるのでしょうか。 私自身、学生の頃は恵まれていると思っていましたが、家業を継いでみると、そのまま続けていってもどうにもならないことに気づき、自分の可能性を真剣に探るようになりました。これからの時代は、何もかもが揃っている現状に満足せず、自分にどのような可能性があるかを真剣に考えた人だけに、将来が訪れるのではないでしょうか。 自分に与えられたものの中から、とにかく目標を見つけ出さなければならない。 私は「経営は本を最終ページから読むことと同じ」と言ってきましたが、達成すべき目標がなければ、適切な努力はできません。ノーベル生理学・医学賞を受賞された本庶佑先生が、「ノーベル賞を取るような研究は、砂漠の中からダイヤモンドの原石を見つけるくらい難しい。筋が違えば、永遠の徒労に終わる」とおっしゃっていた通りで、まず目標を決め、そこに到達するための努力を積み重ねていく必要があります。 その際、目的と手段を取り違えてはいけません。ビジネスの世界では、それがあまりに頻繁に起こっています。最近では、まるでDX(デジタル・トランスフォーメーション)やGX(グリーン・トランスフォーメーション)がゴールであるかのように語る人たちもいますが、私はそういう人たちのことをまったく信用しません。すべては自分たちの商売をよくし、最終的に世の中をもっとよいものにするための手段であり、それ自体が目的ではないのです。 最近の経営者は、社会を変えたい、世界を変えたいと口では言いますが、真剣な目標を持ち、自分たちの事業を通じて社会的なインパクトを与えられると心から信じているのか。そのように考えているふりをして、実際は金儲けが目標のように見えます。金儲けだけして生きていても、面白くも何ともありません。ましてや、金を儲けようとだけ思えば、金はどんどん逃げていきます。 目標を持たず、その時々の流行に乗るような人たちは、新しい言葉が誕生するたびに乗り換えていきます。おそらく10年も経てば、また別のことを言い始めていると思いますが、そこには何の蓄積もありません。 それぞれの人生の行き先に到達するために、何が必要だと思いますか。 自分に与えられたもの、自分の能力、それまでに出会ってきた人々や社会情勢なども踏まえて行き先を決めたら、どのような道筋をたどるべきか考える。そして、できることとできないことを峻別し、できることに全精力を傾けるしかありません。 私は早い時期から、できないことは全面的にやらず、できることだけに徹しようと割り切るようになりました。できないことは、どれだけやってもできません。時代の脅威、競合の脅威、さらには内部の脅威も考慮し、できることだけに集中する。そして、誰よりも先に実行する。これを実践するようになってから、運が向いてくるようになりました。 「即断・即決・即実行」。これは私が昔から言い続けていることですが、多くの人が計画だけ立てて、実行しません。実行しない限り、何も実現できない。商売の世界であれば、商品を生産しない限り、何も売れません。当たり前のことですが、この基本が忘れ去られているように思います。 ビジネスとは戦略を立てることではありません。戦略を立てるだけで成功できるなら、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)を卒業した人たちは誰もが成功者です。そうではなく、何もかも戦略通りに進まない中で、即座に判断し、実行するのがビジネスです。分析や報告が何の役に立つのか。最終的に実行しなければ、どちらも意味がありません。 みずから判断し、結論を導き、実行する。経営者やリーダーとは、それができる人間のことです。部下が決めるべきだと勘違いし、決められない部下を責める人すらいますが、話になりません。 できることに集中し、着実に実行していく過程で、自分にとって転機と呼べるような経験はありましたか。 後から見ての転機はありますが、その時に転機であることはわかりませんでした。アップル創業者のスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で「将来を考えて、点と点を結ぶことはできない。過去を振り返って初めて、点と点をつなげることができる」と話したように、たとえ転換点や変節点を迎えたとしても、その時点では、それぞれの経験が持つ意味に気づくことはできません。 私はよく象の話を例えに出します。象はとても大きい動物なので、そばに寄れば、鼻だけ、胴体だけ、尻尾だけしか目に入らない。それぞれのパーツを見て、それが象の体の一部だと気づけるのは、全体を知っているからです。人生も同じです。年齢や経験を重ねると多少は見えてくるものもありますが、ある経験に特別な意味があったといえるのは、そこに至るまでの全体像を把握できている時だけ、要するに、過去を振り返った時だけにしかわからないということです。 多くの人は、いま乗り越えようとしている課題が持つ意味を理解できると誤解し、それを知ることが大切だと思っています。しかし、すべてが人生の階段の一段にすぎないので、その時点では何らかの意味を持つかどうかもわかりません。それでも順を追って前に進める人間かどうかで、その世界で一目置かれる存在になれるかが決まります。 現実には、やりたいと思ったことのほとんどが、その通りにいきません。商売の世界は、そう簡単なものではない。私は「1勝9敗」と言ってきましたが、実際は「1勝99敗」です。目標に向かって進もうとしても、それくらい思い通りにいかず、毎日新たな障害にぶつかり、乗り越えていかなければなりません。それも自分一人ではなく、仲間とともに乗り越えていく必要があります。 ■自分を発見するために現状を直視せよ 経営者という立場では、大きな目標を持って仕事に取り組む人たちに対して、何をすべきでしょうか。 実力を養えるようなチャンスを与えることです。極限の状態に追い込まれれば、火事場の馬鹿力のような予想外の力が働くこともあり、そこで自分の可能性に気づくこともあるでしょう。たとえその時点では気づけなくとも、厳しい状況を乗り越えた経験は自分の中に残ると思います。 私は社員たちに「独立自尊の商売人になれ」と言い続けてきました。要するに、アントレプレナーになりなさいということです。いまのように流れが速い時代では、誰もがそうでなければなりません。国や他人に期待して、ぬるま湯に浸かって暮らしても、自分の一生を無駄にするだけです。 サラリーマン社会の中で指示を待ち、毎月決まった給料をもらうために働くのではなく、自分自身を尊敬するために、自分を律し、起業家のようにみずから計画し、実行する精神を誰もが持つべきです。挑戦しないので叱責された経験が乏しく、ぬるま湯に浸かることが許されてしまう環境にいるのは、私からすればあまりに恵まれていないと思います。 ファーストリテイリングが世界的な大企業となったことで、そこで働く人たちはサラリーマン意識を持ちやすいといえませんか。 だからこそ、すべて捨ててもらう必要があります。大学を卒業したばかりの若い人たちの場合、多少の学問の知識はあるかもしれませんが、知っていることとできることは違います。また、彼らが身につけてきた知識も大層なものではありません。 にもかかわらず、何でも理解できたつもりになり、きつそうに見える仕事や苦労しそうな仕事を嫌がる人がいますが、実際に経験しなければその重要性はわかりません。自分は半人前ですらなくゼロ人前であると自覚し、みずから経験を求め、苦闘しながら実行できるようになることが大切です。目の前にある好きなことや、いまやりたいことばかりをやっている人は、私には遊んでいるだけのようにしか見えません。 若い人たちだけではありません。経営に携わる人間には「机の上ばかりで考えるな」と言っています。自分自身の経験を伴わず、机の上だけで考えた計画など、文字通り、すべてが机上の空論です。計画だけでは何の役にも立たないと言いましたが、机の上ではまともな計画すら立てられません。 柳井さんはこれからを担うビジネスパーソンに、どのような取り組みを期待しますか。 日本の未来に危機感を持ってほしい。日本が世界で最も勢いがある国だといえたのは30年以上前の話で、いまでは日本よりもさまざまな点で進んでいる国がたくさんあります。日本の周辺にある新興国の人たちはとてつもなくハングリーなので、このままではどんどん追い越されていくでしょう。いまの人たちは、そのような意識を持てていますか。国の未来などどうでもいいと思っていませんか。実にのんびりしたものです。 日本は独立国ですが、敗戦国であることも自覚しなければなりません。明治維新から富国強兵へと進み、海外の列強に追いつけ追い越せとやってきましたが、傲慢になりすぎた結果、日本は第2次世界大戦で敗北しました。その後、米国の政策にも支えられて繁栄を遂げましたが、現在の米国にそこまでの余裕はなく、日本の政府に期待することもできません。もはや日本の熱かった湯はぬるくなり、それを温めてくれる熱はどこにもなく、四面楚歌の状態です。 日本という国は、日本人にとって非常に住みやすい場所になりました。外国の人たちがほめてくれ、観光客がどんどん訪れて、企業はインバウンド需要で潤っています。しかし、日本で暮らしたい、この国の人たちと一緒に働きたいと思ってくれる外国人が、どれだけいるのでしょうか。いまだに日本は最高の国だと思っているかもしれませんが、そんなことはないのです。それはポルトガルが大航海時代を懐かしむようなものです。 過去の栄光にすがるのではなく、圧倒的な危機感を持つべきだと思います。いまは残り湯に浸かっているだけだと、なぜ気づけないのか。特にこれからを担う若い人たちには、「もっとしっかりしてくれ」と言いたいです。 ぬるま湯に浸かっていることを自覚し、危機感を持つために、何が必要でしょうか。 これまでの前提は崩壊しつつあるので、まず現状を知ることだと思います。世界の現状、日本の現状、会社の現状、そして自分自身の現状を知ろうとしていますか。何もかもが揃いすぎているので、知りたいという好奇心を持てず、知るための努力をしていないのではありませんか。 自分はなぜここにいるのか。この問いを追求してもらいたい。そのためには、人と交わったり、本を読んだりしながら、さまざまな経験を積む必要があります。それをやらない限り、自分自身を発見することはできません。仕事でも学問でも、あらゆることが自分を発見するための取り組みだといえます。 若いうちに小さな成功を収めて、満足している人もいるようですが、彼らは自分自身を過大評価しています。反対に、自分のことを過小評価している人もいるかもしれません。 自分の見たいものしか見ていないと気づき、多様な経験を積む中で、自分自身の可能性を知ることができます。勝手につくり上げた自己像を本当の自分だと思い込み、ここからさらに年を重ねていくのであれば、それはあまりにもったいない人生の過ごし方ではないでしょうか。 【注】 柳井正「世界で勝ち抜くには好奇心が不可欠である」DHBR2018年12月号。 (C)2024 Diamond, Inc. PHOTOGRAPHER AIKO SUZUKI 柳井 正(やない・ただし) 1949年、山口県生まれ。1971年、早稲田大学政治経済学部を卒業後、ジャスコ(現イオン)勤務を経て、1972年に小郡商事(現ファーストリテイリング)入社。1984年、広島市にカジュアルウェアショップ「ユニクロ」第1号店をオープンし、以降ユニクロを日本全国で積極的に出店、日本最大規模のカジュアルウェアチェーンへと発展させる。2005年、ファーストリテイリングを持ち株会社へと移行。傘下に、ユニクロ、ジーユー、セオリー、ヘルムート・ラング、PLST(プラステ)、コントワー・デ・コトニエ、プリンセスタム・タム、J Brandを持つ、アパレル製造小売企業グループとなる。2014年に米国『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)誌11月号で"The Best Performing CEOs in the World"の一人に選出されたほか、2017年には米国『フォーブス』誌100周年記念号で"100 Greatest Business Minds"の一人に選ばれた。2020年、京都大学から「名誉フェロー」の称号を授与された。
柳井 正