初の書き下ろし小説を発売のふかわりょう「ロケの合間に出川哲朗さんに『ポスト出川は、おまえだ』と言われて、慌てて大きくかじを切りました(笑)」
――もし「小心者克服講座」を思いつかなかったら? ふかわ どうなっていたんでしょうね......。この間、大学時代の同級生から「名古屋で会社勤めしてるんだけど、イベントがあるから来てくれ」と頼まれて出演したんですよ。在学当時、ノートを借りたりしてお世話になってたから恩返しのつもりで。 そしたら、その同級生が某生命保険会社の支社長になってたからビックリして。実はその彼、僕が20歳のときに「一緒にお笑いやろう」って最初に誘った人なんです。 でも、「お笑い好きだけど、さすがに仕事では一緒にできない」と断られて、お互いに別々の道を歩んだんです。 それから30年後、僕は現状こうなってて、彼はそのまま会社に勤めて名古屋の支社長になってる。それってなかなか感慨深いし、あのとき僕の誘いを断って本当に良かったなって(笑)。 もちろんコンビ組んで成功する未来もなくはなかっただろうけど、これで良かったんだろうな、みたいな。ちなみに彼には「芸人保険を作ってくれ」と伝えておきました。明日がわからない時代ですから。 ■ターニングポイントは出川さんのひと言 ――そしてブレイク後、突如若手のひとりから新世代の注目株となり戸惑いはありませんでしたか? ふかわ ネタをやるのとバラエティ番組の対応って違うじゃないですか。どっちかっていうと、そっちに戸惑いました。ネタは個人芸だけど、テレビは団体芸。 それぞれが絵の具を持っているとしたら、テレビ番組というひとつの絵画を描くのに「僕はこの色をお貸しできます」って感じで色を持ち寄って作り上げるもの。バラエティは特に。だから、むしろ個人でネタを披露するのとは違うフェーズに入ったときに、どうしたらいいか路頭に迷いました。 そんな中で、ちょうど30歳になる頃かな。『内村プロデュース』(テレビ朝日)のロケの合間に出川(哲朗)さんが僕の膝をポンッと叩いて「ポスト出川は、おまえだからな」と言ってくださったんですよ。それで慌てて大きくかじを切りました(笑)。というのも、出川さんにはとうてい及ばないと思ったので。 それがあったから『5時に夢中!』(TOKYO MX)のMC(2012~21年)ってところに漂着できたのもあると思います。たまたまの巡り合わせですけど、神のお告げだし幸運だったと思います。