広島災害の教訓―変わる地名、消える危険サイン
広島の土砂災害で最も大きな被害に見舞われた安佐(あさ)南区八木地区が、崖崩れの多発地帯を表す「蛇」や「悪」のつく地名だったと言われています。日本の地名の多くは過去の災害を伝え、後世に警鐘を鳴らすサインですが、時代とともに消えつつあることも事実です。現代の私たちは先人のメッセージをどう受け止めるべきでしょうか。 ■「蛇落地(じゃらくち)」が「上楽地」に? 八木地区がかつて「八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)」と呼ばれていたことは、災害発生から約1週間後の8月26日、フジテレビの情報番組「とくダネ!」が伝えて反響を呼びました。 番組で住職が証言していた地元の浄楽寺に確認すると、13年前に亡くなった前住職の桐原慈孝さんが、山にすんでいた大蛇の首を戦国時代の八木城主が刀で切り落として退治したという「蛇落地伝説」を語り継ぎ、1976(昭和51)年に八木小学校の創立100周年記念誌に書き残したそうです。地元にはこの伝説を基にしたとみられる「蛇王池(じゃおういけ)の碑」が建てられています。また、昭和40年代までは「上楽地」という地名が古地図にも残っていて、「蛇落地」が転じたと考えられるというのです。 「前住職はこの土地の開発の歴史を伝えようとしていました。ただ、今回のような大きな災害と結びつけていたわけではないようです。『悪谷』という地名までは書かれていません」と現住職の妻の桐原伊織さん。 広島市郷土資料館に問い合わせると、「蛇落地」や「悪谷」を記す文献などはないと言われました。番組放送後、多くの問い合わせを受けたという安佐南区役所地域起こし推進課も、広島市に合併する前の佐東町史などを調べましたが、そうした記載は見つからないとのこと。「役所としては把握できていません。今回の被災地は、もともと川のはん濫による水害が多かった地域。伝説としてはあるのかもしれませんが…」と言葉を濁します。