長﨑美柚らを輩出 神奈川の名門卓球場・岸田クラブ コロナ禍で創設者の父を亡くした次女と仲間の奮闘物語
「勝つ喜びを伝えようとしていた」
――指導者としてはどういう人でしたか。 三木朋子:中学校の教師なので、根本的に卓球指導も、卓球のプロコーチとは違う“教育者”というスタンスでしたね。なので、他の保護者の方々が上手に補ってくれていました。 指導の出発点が部活動なので、強くはしたいけど、勝ちたい子はみんなちょっとでも勝てるようにしてあげたい、満足させてあげたいという人でした。 三木朋子:中学生から始めると、だいたい2年半ですよね。 中学から始めて卓球部に入る子のなかには、運動能力が高くない子も多いです。 それでも勝ちたいという子に父は、異質ラバーに変えてこういう戦術で、と、中学校の部活という限られた時間の中で、勝つ喜びを伝えようとしてました。 小さい頃からたくさん練習して、高校・大学できちんと勝てる選手に育てようという、私たちや他の卓球場のコーチとは、少し違った気がします。 ――なるほど。中学で始めた子にも、勝つ喜びを。 三木朋子:クラブの子にもいろんなレベルの子がいます。全員が全国目指して勝ちましょう、というのも違う。 その子なりの目標を達成させることも大事で、その役割を父がやってくれていたので、父が亡くなってから、私たちもそういうことも考えないとね、と主人とも話しています。
三木尚さん「良い練習はどんどん取り入れる」
朋子さんの夫・三木尚さんの存在も、いまの岸田クラブにとって、大きい。 尚さんも、かつてリコー卓球部でプレーした経験を持つ元実業団選手だ。 長男・三木隼(現在、愛知工業大学)のバンビの部3位を契機に、岸田クラブの指導に関わってきたが、岸田晃さんが亡くなった後2023年12月、安定した会社員を辞め、本格的に岸田クラブでの指導に入った。 ――コーチの村守さん、町さんが、今回子どもたちがホカバ予選で良いプレーができたのは、12月から三木さんが指導に入ってくれたおかげ、と言っていました。 三木尚:いやいや、本当にそんなことはなくて(笑)。岸田先生はじめ、これまでみなさんがずっと見ていただいたおかげです。僕が指導を始めて、今回はたった1回だけのことですから。 ――子どもたちを真剣に怒ってくれるのが良いと、町さんが言ってました。 三木尚:どうなんでしょう(笑)。 でも、厳しいとは思います。せっかく大事なお子さんを預けてくれているのだから、少しでも強くなってもらいたいですし。 子どもたちがこの岸田クラブに来ている意味を考えるんです。 ――と、いうと。 三木尚:その場だけ楽しいのであれば、正直、公共の体育館でみんなで遊べばいいと思うんです。 少しでも、県で、全国の試合で、勝ちたいと思う子が来ていると思うので、やっぱりニコニコ笑いながら練習するだけでは、その目標に到達できない。 そのお手伝いが多少なりともできていれば良いな、と思ってます。 ――レベルの高い練習メニューだと思いました。 三木尚:こだわり、とかは持たないようにしていて。 私の目で見て、この練習いいな、岸田クラブに合いそうだな、と思ったら子どもの練習に取り入れながらやっています。 ――高校男子卓球の名門校・野田学園のような、質の高い練習メニューもありましたね。 三木尚:息子が通わせていただいたご縁もあって、橋津先生にお願いをして、岸田クラブの子どもたちに野田学園で練習を経験させてもらったんです。 私も、カメラ3台持っていって撮らせてもらって(笑)。 ――私が思っていた高校生の練習のイメージとは違って、野田学園は先生が“次、このメニュー”とわりと指示を出していて、小学生の子どもたちももそこに混じって、一見難しそうな練習も、意外にできていたんです。 小学生は自分で練習を考えることが難しいので、まさにこれを岸田クラブで、もう少しアレンジして指示を出していけば良いのではと思い、取り入れました。もちろんレベルによってですけど、だんだん子どもたちもこなれてきています。 ――会社員時代と比べて、どうですか。 三木尚:正直、身体はキツいですけど(笑)、楽しいです。 昨日のホカバ予選も、子どもたちが良い成績を出して喜んでいる姿は、他に代えがたい喜びを感じますね。 あと、子どもに伝わったとき、嬉しさを感じます。 大人がいろいろ言っても子どもに伝わらないことも多いんですが、会話を続けていくと子どもが理解してくれる瞬間があって、それが嬉しいです。