長﨑美柚らを輩出 神奈川の名門卓球場・岸田クラブ コロナ禍で創設者の父を亡くした次女と仲間の奮闘物語
神奈川県のジュニア世代育成を牽引する卓球クラブ、岸田クラブ。 長﨑美柚(木下グループ)や、町飛鳥(ファースト)、三木隼(愛工大)、中野琥珀(野田学園中)らクラブ卒業生は、各カテゴリーの日本トップレベルで活躍を続けている。 卓球場の創設は、約35年前。 中学校の教員であった岸田晃さんが、卓球を始めていた自分の娘たち(三姉妹)を練習させるため、藤沢市の自宅隣に卓球場を建てた。 思ったより、狭い。 しかし、ここから今年の全農杯全日本ホカバ神奈川県予選も、代表19人枠中、実に9人の子どもたちが、神奈川県代表の切符を掴み取った。 どこに秘密があるのか。 「縄跳び1,000回してから練習する」という都市伝説は、本当なのか。 クラブ創設者・岸田晃さんの次女で、現在のクラブ代表・三木(旧姓:岸田)朋子さんに話を聞いた。
妹とのダブルス登録がきっかけ
――卓球場は約35年前に建てられたということですが、岸田クラブはいつ始まったんでしょうか。 三木朋子:登録は1997年ですね。 妹(岸田聡子:日本生命レッドエルフコーチ)が中国留学時代に、全日本に私と一緒にダブルスに出よう、じゃあ協会登録を、というときに「岸田クラブ」という名前で登録して。ダブルスだと、苗字とクラブ名で4つ岸田が並ぶのはどうかなと思いましたが(笑)。 その頃、知り合いのお子さんを父が少し教えていたので、一緒に「岸田クラブ」で登録して、というのが最初です。 ――朋子さんはいつから岸田クラブで指導を? 三木朋子:私自身は約14年前、自分の長男が4歳で卓球を始めてから、だんだんクラブの指導に入るようになりました。 でも、クラブらしい形になってきたのは、長﨑(美柚)が通い始めた頃から、この10年ちょっとだと思います。 それまでは、中学教師の父は小学生の試合にも行けないことも多かったので。 ――今日練習を拝見して、練習の間ずっと朋子さんたち指導者が、子どもたちに声をかけ続けることに驚きました。 三木朋子:毎日、ずっと同じことを言い続けてるだけですけどね(笑)。やっぱりすぐにはできないので。 あと、同じことでも、自分の親の言うことは聞かないけど、人の親の言うことはよく聞いたりしますから(笑)。