14歳で親元を離れ演歌歌手「香田晋」に...僧侶となった今、振り返る“波乱万丈な半生”
演歌歌手「香田晋」として、歌謡界のみならずバラエティでも活躍した徹心香雲氏。順風満帆に思えたキャリアだが、40代半ばで芸能界を電撃引退した。 さらにその6年後には仏門の道へ。周囲からは大胆に思えるキャリアシフトだが、徹心氏は何を思い、このような決断に至ったのか。当時の思いとこれまでの半生を聞いた。(写真撮影:まるやゆういち、取材・構成:林加愛) ※本稿は、『THE21』2024年3月号特集「40代・50代からの『キャリアシフト』成功術」より、内容を一部抜粋・編集したものです。
今につながる波乱万丈の少年時代
――「演歌歌手・香田晋」として活躍されたあと、現在は僧侶となられている徹心香雲さん。芸能界から仏門とは、思い切ったキャリアシフトですね。 【徹心】僕自身は、シフトしようと思ったことはないんです。心のままに行動してきたら、ここにたどり着いていました。芸能界にいた頃は、歌手として一生を全うする以外の未来など、想像もしませんでした。 ――予想外の道のりを経て、現在に至ったのですか? 【徹心】そうです。歌手になったことさえ、実は予想外でした。18歳までは、塗装業の職人になるつもりでいましたから。 ――そうなのですか? どのような経緯で職人の世界に? 【徹心】そもそもの始まりは、14歳で故郷の福岡を飛び出したこと。母と、母の再婚相手である義父との間に喧嘩が絶えず、耐えきれなくなったのです。家を出て倉敷に行き、親戚の家を転々としつつ、自分の食い扶持は稼がねばと思って、塗装業のアルバイトを始めたわけです。 ――10代から波乱万丈ですね。 【徹心】今思えばこの頃の経験が、現在につながっていると思います。お金の価値を知り、親方や親戚への感謝が芽生え、その先で、振り切って来た家族への思慕――とりわけ「母を悲しませてしまった」という後悔を噛みしめました。自立心と、大切な人への想いというものを知った時期でしたね。 ――大きな経験をされて、そこからさらに芸能界へと転身を。 【徹心】はい。当時僕は、働きながら歌を習っていました。「無料でいいから習いに来なさい」と言ってくださる先生がいらして、その方の師匠が、演歌の大御所・船村徹先生でした。船村先生に引き合わせていただき、「高校を卒業したら弟子入りしなさい」という流れに。 ――才能を見出されたのですね。 【徹心】才能はともかく(笑)、歌が心底好きだったのは確かです。ここまで育ててくれた親方への気持ちも大きかったですが、感謝しつつお別れをして、単身上京しました。