14歳で親元を離れ演歌歌手「香田晋」に...僧侶となった今、振り返る“波乱万丈な半生”
自分に接するように人に接する
――大きな決断ですが、まったく迷わなかったのですか? 【徹心】一見突然なようですが、僕にとっては自然な流れでした。20代の頃から仏壇に手を合わせる日課があり、仏様への想いは生活の一部でしたから。 ――20代からですか。若い方には珍しい信心深さですね。 【徹心】実は22歳のとき、母が他界しているんです。家を出て以来、謝りたくても上手に伝えられない年月を経て、ようやく心通った矢先の死でした。以来、毎日欠かさず仏壇に向かうようになり、次第に、大きな何かへ導かれたように思います。 ――過去のご経験が、少しずつ積み重なって今につながった様子がうかがえます。 【徹心】本当にそうです。修行時代に学んだ「心」も、それを失ったときの苦しさも、そして、妻が祖母に向けていた献身的な愛情も導きになりました。この二人と共に暮らし、祖母に心を尽くせたのは大きな喜びでした。 ――徹心さんがずっと大事にされてきた「心」は、仏道にもつながるものなのでしょうか。 【徹心】最終的にはそこに行きつきますが、入り口は日常的な行動に宿るものです。祖母と暮らしていた頃、僕らはずっと「祖母第一」でした。 どこに行きたいか、何を食べたいか、まず祖母に聞いて決める。自分がそうされたら嬉しいことをする。その先で僕は、「自分に接するように人に接する」生き方を知りました。祖母のみならず、どなたに対しても。 ――相手を自分だと思って接する、ということですか? 【徹心】はい。仏門にいる者のみならず、ビジネスパーソンの方々にも、きっと通じることだと思います。上司、部下、お客様や取引先の方、すべての他者を自分のように尊重すると、言葉にも行動にも心が宿り、伝わり方が変わるはずです。
道に迷っただけ道を知ることができる
――ビジネスパーソンはともすると、多忙さの中で自分を尊重できなくなることもありそうです。 【徹心】わかります。僕も芸能生活の後半はそうでした。そこから抜け出せたのは、休んだからです。 猛スピードの列車から降りて各駅停車に乗り換えると、周りの景色がだんだん見えて、空気のおいしさや花の美しさに気づき、心がよみがえります。何歳でも、完全復活できますよ。僕も30代のときは心が錆びついていましたが、今はピカピカです(笑)。 ――若い頃にも増して生き生きされている徹心さん。もう、歌の世界には戻られないのですか? 【徹心】歌手として歌うことはもうありません。でもカラオケでも家でも、歌うことはどこでもできます。今は声も戻り、実を言うと現役時代より上手です(笑)。僧侶として説法や講演をする中、90分の話の節目に1~2曲歌わせていただくこともよくあります。 ――なんとうらやましい。ご自身の歌を歌われるのですか? 【徹心】いいえ、ここも「自分がされて嬉しいこと」を基準に考えます。皆さんが聴きたい歌、青春時代の思い出の歌は何だろう、と。「この年代の方々なら春日八郎さんがお好きかな?」というふうに、その場で決めて歌います。 ――その場で、ですか? 【徹心】はい。毎回出会う方は違いますから、そのとき目の前に居る人、そこにあるものに集中。つまり「今」を一生懸命生きるのです。 ――今を一生懸命。これも、年齢を問わず大切にしたい考え方ですね。 【徹心】その通りです。長く生きるとつい、過去を振り返って「あの頃はこうだったのに」と思いがちですが、それはもったいない話です。今を一生懸命生きることを積み重ねれば、その先に、必ず未来も開けます。 ――多くの逆境を超えてこられたからこそのお言葉です。 【徹心】僕はこれまで、たくさん道に迷いました。でもそのぶん、多くの景色を見て、僕なりに成長できました。皆さんにも、「大いに道に迷いましょう!」とお勧めしたいですね。 知らない道は不安なものですが、そこを通れば、知っている道になります。そんな道を、ぜひ増やしましょう。皆さんの人生がさらに豊かに、幸福になるよう応援しています。 【徹心香雲(てっしんこううん)】1967年、福岡県出身。高校卒業後、演歌歌手を志し、船村徹に弟子入り。89年6月、21歳のときに、香田晋名義で歌手デビュー。同年、日本レコード大賞新人賞を受賞。2012年、所属事務所を退所し、芸能界を引退。18年に曹洞宗徳賞寺で得度を受ける。現在は僧侶「徹心香雲」として講演活動などを行なう。
徹心香雲(僧侶)