「その口の利き方は、なんや」「殴ってこいや」大学時代は“街の不良”とケンカ三昧…闇社会の帝王・許永中の“トラブルだらけの生活”
雀荘で身につけたイカサマの技術
当時の彼は麻雀で負け知らずだった。もっとも、負けようがない。「負けたらいかん」と思っていた。 堂々と打っている彼の手を見て、悪い先輩がこうささやいた。 「ここではええけど、繁華街に出て行ったら、そんな中途半端な手ではあかんで。イカサマ教えたるわ」 涙ぐましい努力の甲斐あって、許は麻雀で負け知らずであった。 当初は学生のいない場では打たないことに決めていたが、イカサマの技術をしっかり身につけてからは、プロも出入りする雀荘にも出ていった。盛り場で他流試合を繰り広げたのである。繁華街の雀荘に出入りしているような連中は、所詮半グレ。皆が皆それで生計を立てている。 どこから来たとも知れない新顔は招かれざる客に違いない。シマ内への侵入者は「勝負する気」があるのかどうか、試される。ここからが睨み合いだ。
敵地で喧嘩を買う
一勝負終えて雀荘を出る。外には必ず待ちかねている奴がいた。女の子ではない。野郎である。 「ちょっとおいで」 よそ者に大きな顔をされては、地場を仕切っていたり、その道で飯を食っていたりする側は立つ瀬がない。街があり、不良がいる。そこには、1つの整然とした律動が息づいており、水流が走っている。 そんな共同体に、突然子供みたいな男が入り込んでくるのだ。揉め事にならないほうが不思議である。 実際、他の街に行けば、1週間から10日でたちどころにトラブルになった。 いわば敵地で喧嘩を買うわけだ。1回でも負けていれば、そこで終わっていただろう。連戦連勝だったからこそ、何とか続いていた。 そういうことがあると、雀荘の側も気を使ってくれるようになる。プロやおっさんばかりを相手にしている店にしてみれば、彼のような学生は物珍しかったのかもしれない。 なお、許が大学に入学して2カ月後の昭和40年6月22日、日本政府と韓国の朴正煕政権との間で、日韓基本条約が調印された。この条約に基づき、在日韓国人の日本での永住権が認められた。許ら在日韓国人にとって、新たな時代がやってきたのである。
大下 英治,許 永中/Webオリジナル(外部転載)