第67回グラミー賞ノミネート! 宅見将典インタビュー “グラミー賞を目指す”と公言してから実現までのサクセスストーリー
2023年『第65回グラミー賞』において、アルバム『Sakura』で「最優秀グローバル・ミュージック・アルバム」を受賞した作・編曲家/アーティストの宅見将典。受賞後は文化庁長官表彰(国際芸術部門)の受賞、Newsweek誌『世界に尊敬される日本人100』に選出され、映画『告白 コンフェッション』(2024年5月公開)のサウンドトラック、米国パラマウント社のライブラリー音楽の制作も手掛けるなど活動の幅を広げ続けている。さらにMasa Takumi名義でリリースしたシングル「Kashira」が今年度『第67回グラミー賞』の「グローバル・ミュージック・パフォーマンス」部門にノミネートされた。2年ぶりに発表された「Kashira」は、4月に公開されたVシネマシリーズ「日本統一」の最新映画『氷室蓮司』主題歌。日本の伝統楽器や二胡と欧米的なビートを融合させた楽曲に仕上がっている。 【全ての写真】第67回グラミー賞にノミネートされた宅見将典 Sly&Robbieのアルバム『One Pop Reggae』に参加し、グラミー賞を体験したことで「またここに戻ってきたい」と決意。LAと東京を行き来しながら現地の音楽業界と繋がり、アルバム『Sakura』でついにグラミー賞を獲得するに至った経緯、そして、新曲「Kashira」や今後の活動ビジョンについて、宅見自身の言葉で語ってもらった。 ――改めまして、『第65回グラミー賞』の受賞、おめでとうございます。 ありがとうございます。もう去年の出来事なんですが、まだちょっと他人事のような感覚なんですよ(笑)。それを目指してガムシャラにやってきたものの、プレゼンターのジョン・レジェンドが登場したときに「自分の名前が呼ばれるわけないな」と思って。私の名前がコールされたときは脳の中で何かがハジけた感じがありました。まるで夢の世界でしたけど、リアルに体験できたことはよかったですね。 ――宅見さんはグラミー賞を取るという目標を定めて、具体的な活動を続けてこられたそうですね。 そのために3年間移住しましたからね。グラミー賞の会場のCrypto.com ArenaはFigueroa Street沿いにあるんですが、目的を忘れないように同じストリートに住んだんですよ。“ひとりレコード会社”という感じで、制作やプロモーション、JASRACへの登録も全部ひとりでやって。1から音楽ビジネスを勉強できたこともよかったのかなと。 ――そもそもグラミー賞を目指したきっかけは? Sirenというバンドでメジャー・デビューしたんですが、2003年に脱退して。その後、作曲家として活動を始めて、ようやく波に乗り始めた頃にKMミュージック(横浜のコンサートプロモ―ション会社)の下田等さんに、「海外のプロジェクトでギターを弾いてくれないか」と言われたんですよ。それがSly&Robbieだったんです。レゲエの伝説的リズムセクションなんですけど、僕がイントロをつけたら面白がってくれて、アルバム『One Pop Reggae』に参加したんです。それがグラミー賞にノミネートされて、僕もアディショナルプレイヤーとして名前が載ったんですよ。喜んでいたらWOWOWの方に誘ってもらって、現地に観に行ったんです。2011年の2月13日だったんですが、そこで人生が変わって。本当に素晴らしかったし、「絶対にここに戻ってきたい」と思ったんですよ。日本に戻って英会話の教材を買って、マンツーマンの英会話スクールに通ったのがスタートですね。 ――まずは英語からだったんですね。 それがないと何もできないですからね。次の年に2カ月の短期留学をして。機材も持っていって、日本の仕事をリモートでやりながら、英語の勉強を続けました。まだまだ準備段階ですよね。 ――宅見さん自身のプロジェクトに関しては? 先ほども言ったように最初はレゲエの作品に参加したんですけど、向こうで「なんでレゲエなの?」と言われることもあったんです。僕も「そりゃそうだよな」と思ったし、そこから「自分の作品ってどういうものだろう?」と考え始めて。あらためて「コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム」というカテゴリーにしようかなと思い、LAのキャピタルレコーディング・スタジオで自分の作品を録って、エントリーしたのが2016年ですね。初めてグラミー賞関連のミュージシャンが集まるパーティに行ったのも2016年。日本のパーティと違って食べ物や飲み物が用意されているわけではなくて、自分でバーカウンターで飲み物を買って、いろんな人と話して。それがアメリカの音楽業界と繋がるきっかけでした。アジアの人は結構いたんだけど、日本人はほとんどいなかったので、なんか目立ってたんですよ(笑)。