リスボンと契約した田中順也という男
6月29日、ポルトガルのスポルティング・リスボンが、柏レイソルから田中順也を獲得したと発表した。違約金約83億円、5年契約という数字に、日本国内のみならず海外からも驚きの声が挙がっている。 田中は身体能力が高く、スピードとスタミナを兼ね備えたアタッカーであるが、最大の持ち味は何と言っても強烈な左足シュートにある。遠目の位置でもコースを見出せば、躊躇なく左足を振り抜く。昨季まで柏に在籍していた左利きの名手、ジョルジ・ワグネルをして「僕が移籍した後のプレースキッカーは順也に任せる」と言わしめたほど、田中の左足は世界水準にある。 しかし、田中ほど“彗星のごとく現れた”という表現が相応しい選手もそうはいない。思い出されるのは2011年FIFAクラブワールドカップ準決勝のサントス戦前日。会見に臨んだ田中は、ブラジル人記者から選手としてのキャリアを聞かれ、苦笑いを浮かべながら「僕は無名の存在です」と答えた。 それは必ずしも謙遜ではなかった。三菱養和SCユース時代には、その強烈な左足シュートから“三菱養和のアドリアーノ”との異名こそ取ったものの、年代別日本代表はおろか選抜の経験も持たない田中は、全国的には無名の存在だった。順天堂大学へはスポーツ推薦ではなく、一般入試の末に入学し、大学サッカーでも取り立てて目立った功績を残したわけではなかった。 転機は訪れたのは、田中が大学2年の時だ。柏のスカウトが、田中の2学年上の先輩にあたる村上佑介(現愛媛FC)の視察に訪れていた時、ひと際強烈な左足のシュートを放つ田中の存在に目を奪われ、彼を柏の練習参加に誘った。その後、数回の練習参加を経て、田中は2009年の大学4年時に柏の特別指定選手になる。さらに、ここで彼の人生を大きく変える出会いが待ち受けていた。名将ネルシーニョとの邂逅である。ネルシーニョは、李忠成(現浦和)、フランサといった絶対的なアタッカーをスタメンから外し、無名の現役大学生である田中をいきなりスタメンで起用するサプライズを見せた。