リスボンと契約した田中順也という男
当時としては無謀にも思える抜擢だが、田中の秘めたるポテンシャルをネルシーニョがすでに見抜いていたのならば、今となれば十分に納得できる起用である。 「ネルシーニョ監督に出会ってサッカー観が変わりました。僕はそれまで頭を使ってサッカーをやってこなかったので」。過去には、そう自虐的に語ったこともあるように、身体能力高さと左足シュートに頼りきりだった田中は、ネルシーニョの施す緻密な戦術に触れ、次第に秘めたるポテンシャルを開花させていった。 田中は一見して粗削りだが、リフティングの技術はピカイチで、繊細なボールタッチも売りだ。ネルシーニョの指導によって、彼が元来持っている“剛”の部分と、“柔”の部分が劇的な融合を果たすと、プロ2年目の2011年に一気にブレイクを果たした。同年、Jリーグでは13ゴールを挙げて、柏のリーグ初制覇に大きく貢献した。さらに日本代表に招集されるに至り、2012年2月のアイスランド戦では代表初キャップを刻んだ。柏では、常に外国籍の選手とポジションを争い、開幕当初はスタメンから外れたとしても、最終的には定位置を確保し、その熾烈な争いに勝つことで自らの成長につなげてきた。 とはいえ、代表1キャップしか持たない田中に、なぜスポルティング・リスボンが興味を示したのかは不明である。だが、かつてネルシーニョが田中の素質を見抜いたように、彼の体内に眠る可能性をスポルティング・リスボン側が見出したのならば、それはあながち分からない話ではない。田中としても、柏時代に仲の良かったチームメイト、大津祐樹、酒井宏樹が次々と海外へと渡っていく姿を見て、彼自身も海の向こうへの憧れや夢を、大きく膨らませていったのだろう。 今回の移籍は、柏とスポルティング・リスボンとの間で、以前から交渉が行われていたのではなく、代理人を通じて水面下での交渉を続け、話が具現化した6月下旬に、初めて柏へオファーが届いた。