79年目の長崎原爆の日。爆心地・浦上は江戸時代、異教徒が共生していた村だった。その子孫が敵対と分断が進む世界や、イスラエルに関して思うこととは…
浦上村の歴史を調べてみると、現在のどの社会でもありがちな対立や相互不信、時に密告さえもありながらも、隣人同士がぎりぎりの妥協点や均衡を模索し、苦労しながらも共生してきた先人たちの姿が目に浮かんだ。 ▽原爆犠牲者は天国にいる。でも…… 1945年8月9日。人類史に刻まれる惨禍の地となってしまった浦上…。森内さんに、受難の地・浦上の先祖たちの生きざまについて聞いた。 森内さんは「江戸時代初期のベアトス様のように、抵抗せずに迫害をただただ受け入れて、祈り続けるのが浦上だ。浦上の人たちは代々、小さいときから母親の膝の上で祈りを聞いてきた。教えを守ってこられたのは、強い女性の力が大きかったのだと思う。信徒発見で、危険を冒してでも神父がいる大浦天主堂に行こうと言い出したのは女性だった」と話した。 現在の国際情勢に目を向けると、米中両国の覇権争いやウクライナでの戦争など、世界中で対立と分断が深まり、人々は争いに明け暮れている。
宗教を口実とした土地の奪い合いや殺し合いが頻繁に起こる中東では、迫害を受け続けてきたイスラエルの人たちが、今は、弱い立場のパレスチナ人に暴力を振るっている。森内さんに見解を尋ねた。 「浦上は、イスラエルとは違います。苦しい時も嬉しい時も、ただ祈り、神に委ねます。イスラエルの人たちは、自分たちのお父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんが受けてきた迫害と同じようなことを、なぜ今、弱い立場の人たちにするのでしょうか?」 浦上の上空でさく裂した原爆の犠牲者たちのことを尋ねると、森内さんは力を込めて即答した。 「カトリックであろうとなかろうと、みんな天国に行っていることを確信しています」 だが、どうしても、割り切れない思いが残る。 「なぜ、浦上だけ苦しみを受け続けないといけなかいのかなと思う。もしかしたら、神様が浦上の歴史を通して、人類に何かを教えようとしているのかもしれない……」