79年目の長崎原爆の日。爆心地・浦上は江戸時代、異教徒が共生していた村だった。その子孫が敵対と分断が進む世界や、イスラエルに関して思うこととは…
強烈な爆風と熱線で枝葉が吹き飛び、幹も折れ黒焦げになった山王神社の被爆クスノキは、被爆後、新芽を吹き返し、今も青い空へと枝葉を広げている。 幹に巨大な傷跡が残る2本のクスノキを見に行くと、神社の敷地内にある保育園の子どもたちの元気な遊び声が聞こえたり、原爆の惨禍を学ぼうと遠くから来てくれている外国人に出会えたりする。2本のクスノキは、数百年もの間、人々の生と死を黙って見守り続けている。 「長崎を最後の被爆地に」。地獄の猛火に焼かれた原爆犠牲者たちのせめてもの願いと祈りが、宗教や民族、国籍に関係なく、世界中に広がっていってほしいと思う。 ▽共生と祈りの浦上が、分断と敵対の世界に投げかける意義とは… 今、世界中で分断と敵対が深まり、戦争も起きている。原爆犠牲者たちのせめてもの願いを踏みにじるかのように、核戦力は増強されており、核兵器使用の威嚇もある。受難と再生、祈りの地である浦上は、近代化前の江戸時代、キリシタンと非キリシタンが時に対立を抱えながらも何とか共生してきた村だった。潜伏キリシタンの子孫に、その原点や教えを守ってきた要因、現在の国際情勢をどう思うか聞いてみた。
昨年夏。台風一過の炎天下、浦上にある「ベアトス様」の墓を訪ねた。キリスト教が禁じられていた江戸時代の初期、自分と家族を捕らえに来た役人に新米を炊いてもてなした後、静かに火刑に処されたと伝えられている村民の墓だ。 キリストがはりつけにされたゴルゴタの丘に似ているという「十字架山」に登った後、浦上天主堂を見学した。原爆で約1300人の児童が犠牲になった山里小学校の原爆資料室に立ち寄ると、案内をしていた森内浩二郎さん(71)に偶然、出会えた。 森内さんは、フランス人神父に信仰を伝えた1865年の「信徒発見」の主人公の一人、森内テルの5代目の子孫だ。 ▽潜伏の村に残る亡命キリシタン武士たちの足跡 森内さんを10カ月ぶりに訪ね、浦上の歴史について語ってもらった。 森内さんが父親から聞いた話では、浦上村の最前線の位置にあった森内家は武士の出身だ。原爆で何もかも吹き飛ばされたが、家には刀があったという。先祖のルーツは、姓のことか出身の土地のことなのか分からないが「きくち」と聞いた。浦上には他にも、先祖は武士という人がいたという。