【書評】ぐらつく価値観、ゆらぐ自分:角田光代著『方舟を燃やす』
気が付けば自分も噂のただなかに
第2部は、そこから一気に十数年が経過した2016年から始まる。すでに東日本大震災は起こっているが、新型コロナウイルスにはまだ誰も気が付いていない。そんなタイミングだ。 ここで初めて、それまでまったく異なる人生を歩んできていた主人公の2人の人生が交わる。区役所の職員になった少年は子ども食堂の活動に関わり、還暦を迎え、夫に先立たれた女性は、料理を作る側となってその子ども食堂に登場する。 とはいえ、何か劇的にドラマチックなことは起こるわけではない。 始まったばかりの子ども食堂の活動は徐々に軌道に乗り始め、離婚や死別、子どもの独立などでそれぞれ独りで暮らす2人の人生は、子ども食堂を起点に交わりながらも、それぞれに進んでいく。 そして新型コロナウイルスが中国で見つかり、マスクが店頭から消え、外出自粛令が出され、ワクチン接種が始まる。 第1部では“未来という安全圏”にいて、いわば結末がわかっている過去の噂を眺めながら本書を読んでいたはずが、第2部で2017年、2018年と、1年刻みで進むストーリーを追っていくうちに、まるで濁流にのみ込まれるかのように、こちら側も物語の中に巻き込まれてしまう。 緊急事態宣言下でこっそり営業していたお店に対するチクリや、ワクチンを巡る賛成派と反対派の対立、SNSで大量に発信される情報たち。どれもまだあまりにも最近のできごとで、何が真実で何が嘘で、何を笑い飛ばしていいのか自分もよく分かっていないことに気が付いた瞬間に、本書の見え方がパッと変わった。 「こんなおばあさん、かんたんにだませると思っているんでしょう」 高齢者にワクチンを無理やり接種させようとしているとか、台風からの避難だと偽って家から連れ出そうとしているのだとか、周囲に対して懐疑心を抱いた時に女性が口にするセリフだ。 だます、とはいったい何なのだろう。 自分はこれまで自分の頭で考え、判断してきたつもりだけど、もしかしてだまされていたのに気がついていないだけだとしたら--? 自分では持っていると思っていた自分なりの価値観というものが、ぐらり、とよろめき始める。 実在しない主人公たちが物語を織りなす小説というものをエンターテインメントとして読んでいたはずなのに、いつしか自分もその物語の中にいて、何が真実か分からない、あの時の行動は正しかったのかと不安に感じ、叫びたくなるような気持ちになっていた。