「6秒差の落選」「まさかの故障」「“あと1人”で選抜漏れ」…箱根駅伝“悲運のエース→敏腕漫画編集者”の元ランナーが振り返る「箱根路の残酷さ」
今年も10月から学生駅伝のシーズンがスタートする。毎年20%を超える高視聴率を叩き出す年始の箱根路を筆頭に、近年の学生駅伝人気はすさまじい。だが、メディアで取り上げられる煌びやかな選手の活躍のウラでは、当然その夢舞台に届かず終わる選手たちも多く存在する。そんな彼らは、行き場を失った「夢」とどう折り合いをつけるのだろうか。現在は多くの人気漫画の原作も担当する編集者となった「元ランナー」に話を聞いた。《NumberWebノンフィクション全2回の1回目/つづきを読む》 【漫画】鍵谷さんが原作&編集を務める人気漫画『クレイジーラン』第1話を読む(全4話) ◆◆◆
箱根駅伝「あと一歩で」届かなかったある選手の記憶
10月の昭和記念公園は、秋の寒風にそぐわない熱気であふれかえっていた。 草地広場を埋めるのは多くの大学の学生ランナー、コーチ、ファンたちだ。いまから16年前の2008年、85回目を数える箱根駅伝の予選会場は、通過校の歓喜と落選校の慟哭で埋め尽くされていた。 熱狂の渦の中で、鍵谷亮は半ば放心状態だった。 「いやいや、ウソでしょ」 鍵谷はこの年、1年生ながら法政大学の箱根駅伝予選会のエントリーメンバー14人に名を連ねていた。ところが、本番3日前に行われた調整練習を“外して”しまった。1年生ということもあったのだろうか。当日は2人しかいないリザーブメンバーに選ばれてしまい、予選会を走ることは叶わなかった。 「本戦、連れて行ってやるからさ。結局本番、走ったもん勝ちなんだよ――」 そんな風に4年生エースは自分に声をかけてくれていた。 メンバーから外れた自分を元気づけようとしてくれたのだろう。もちろん、そこには“落選”の2文字は微塵も浮かんでいないようだった。 「それがたった6秒差で落ちちゃって。『え、なんで? 』っていう感じですよね」 この年は記念大会のため、予選会からは通常より3校多い13校が本戦に進めることになっていた。 伝統校の法大は、上位通過が有力視され、落選予想をしている人間はチーム内外問わず、ほぼいなかった。だが、それこそがスポーツの怖さでもある。わずか6秒の差で大舞台のチケットを失ってしまった。 鍵谷の周りの先輩や同級生たちは、一様に涙を流していた。でも、自分は走ってすらいない。泣く資格すらないような気がした。 「昭和記念公園から立川駅まで、ひとりでぼーっと歩いていたんですよ。そしたら当時の成田(道彦)監督がガーッと近づいてきて、背中をバンっとたたかれて。『来年は、お前がやるんだぞ! 』って言われて。その言葉を聞いたら、不思議と急に涙が出て来て」 関西育ちで法大の門を叩いた鍵谷にとって、それまで関東のローカル大会である箱根駅伝はそこまで大きな意味をもっていなかった。箱根路に憧れを抱く多くの新入生とは異なり、鍵谷の場合は「東京に出たい」という高校生にありがちな上昇志向の方が強かったという。 だが目の前の大一番で敗れ、涙を流す仲間たちの姿を目の当たりにした。それは1年間、厳しい練習をともに乗り越えてきた同志が見せた初めての姿だった。 今年は、自分は走れなかった。でも、仲間のリベンジを来年は自分が果たす。連綿と受け継がれてきた箱根と大学陸上部の歴史を、この時初めて感じたという。 「箱根って、なんかいいな」 1年目に経験した予選会落選という“事件”で、鍵谷の中での箱根への想いは、180度変わることになってしまった。 鍵谷は兵庫の高校駅伝名門校のひとつである須磨学園の出身である。 3年時には3000mSCで激戦の近畿地区予選を突破し、インターハイにも出場している。一方で、兵庫は西脇工業、報徳学園など有力校がひしめく日本最激戦区でもあり、冬の都大路を走ることは叶わなかった。 「当時の須磨学園には2人、全国的にも有力なランナーがいたんです。それもあって、かなりの数の監督がスカウトに来ていました。そこで法大に声をかけてもらった感じです」