大惨事は逃れたはずが...“優秀なパイロットへの有罪判決”が呼んだ悲劇の結末
1989年11月21日、ブリティッシュ・エアウェイズのボーイング747型機「ノベンバー・オスカー」が、ロンドン・ヒースロー空港に緊急着陸した事故が起きた。 着陸時に濃霧のため視界不良となり、機長のウィリアム・グレン・スチュアートは「計器着陸」(計器を頼りに着陸すること)を行う事になった。しかし機長は着陸の際の安全規定を無視して降下を続け、高速道路沿いのホテルの屋根に機体をかすめるニアミスを起こした。 規定を故意に無視したと見做された機長は有罪に。しかし事故当日の状況や、機長の行動については様々な疑問が残る。詳細な状況を、事故の2日前まで遡って考察する。 ※本稿は、マシュー・サイド(著)、有枝春(翻訳)『失敗の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
地上1.5メーターの大惨事
世間の大勢の人々にとって、スチュアート機長の過失は明白だった。最終的に大惨事は逃れたものの、規定に従わなかったことにかわりはない。限界高度の1000フィートを超えて降下したとき、操縦桿を握っていたのは彼だ。 事故から18カ月後の1991年5月8日。ロンドン西部のアイズルワース刑事法院において、スチュアート機長は、「過失により旅客機とその乗客を危険に陥れた」として有罪を宣告された。ベテランのパイロットが犯罪者となった瞬間だ。 しかし実際は何があったのだろう? スチュアート機長の行動は非難に値するものだったのか?本当に彼の過失だったのか? それともあのときは一連の予期せぬ出来事が起こっていて、彼は大惨事を避けようと必死で対応していただけだったのか? この事故を詳細に振り返るにあたっては、スティーヴン・ウィルキンソンというジャーナリストが発表した貴重な調査レポートが参考になる。そのほか裁判関連の未発表書類、ブリティッシュ・エアウェイズの内部調査にかかわる極秘書類、目撃者からの聞き取り情報なども随時参照している。 事故の経緯について、ここからは前述のシンプルなものではなく、詳細なバージョンを紹介しよう。そのためには、時計の針をずいぶん戻さなくてはならない。 ノベンバー・オスカーがヒースロー空港に着陸を試みた時点まで戻しても、バーレーンを飛び立った瞬間まで戻してもまだ足りない。戻るべきはそこからさらに2日前、乗り継ぎ地のモーリシャスで、クルーたちが中華料理を楽しんでいた時間だ。