大阪万博、500日前にこの状態で本当に開催できるのか(後編) 「万博は儲かるという意識を捨てる」「熱狂は期待すべきではない」…関係者に聞かせたい、専門家2人の貴重な提言
▽染みついた意識の転換を ―インターネットやSNSの出現で、万博の意義は薄れたのではないですか。 万博のように半年の間、世界を一度に遊覧できる体験というのは他にはありません。万博とは、知りたいことをピンポイントで探すという今日の情報収集の在り方に逆行するものです。欧米を歴訪した「岩倉使節団」は1873年、長い視察の最後にオーストリア・ウィーン万博を訪れました。そのときの感想が残っています。「あたかも世界を縮めたようだ」「欧米視察の最高の復習になった」 もちろん、時代は19世紀半ばから大きく変わりましたが、ネットやSNSで世界の全てを知った気になるのは、おごりではないでしょうか。「インターネットがあれば何でもできる」と思いがちな今こそ、万博を通してもう一度、世界を眺め直す意味があると思います。 ―2025年大阪万博には何を求めますか。 まずは万博が「儲かるイベント」であるという意識を捨てることです。誘致計画の段階から説明に偏りがあったことで、賛成するにも反対するにも経済効果が鍵になってしまいました。お金が目的ならば他のイベントでもいいのです。「経済的に持ち出しになっても開催したい」「世界に足跡を残したい」。そんな青臭い志をもっと示すべきです。現在の機運醸成の仕方を見ていると、そうしたコアな部分を国民に伝えきれていないと感じます。そもそもの万博の意義や各国の真剣な思いを愚直に伝え続ければ、「行ってみたい」と思う人は増えるはずです。
さらに重要なのが「参加国マインド」から「開催国マインド」への転換です。日本は万博史の初期から懸命に参加し、自国を成長させようとアピールを続けてきました。こうした世界との距離感は今も染みついたままで、万博自体を作り込むことにお金とエネルギーをかけすぎていると感じます。開催国側は自国をアピールするのではなく、半年間の会期中、「世界のホスト」として参加国を迎え入れる度量の大きさが必要です。大阪万博を経てそうした意識から転換できれば、それはこれからの日本の歴史に大きな影響を与え、お金には代え難い価値を得られるのではないでしょうか。 ▽「みんなが行く」ではなくなった時代に 万博が課題解決型へと移り変わった中で開かれる、2025年大阪万博。来場者はどのような体験を期待できるのか。2005年愛知万博(愛・地球博)でチーフプロデューサー補佐を務めた石川勝氏は、2025年大阪万博の会場運営プロデューサーとして会場全体の運営を担う。鍵を握るのは「アップデートだ」と語る。