バブルに踊った「雪国」の舞台、1室数千万円だった豪華マンションが今や10万円 「東京都湯沢町」とも呼ばれた人気リゾート地の現在
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった―。川端康成の小説「雪国」の舞台として知られる新潟県湯沢町。バブル景気の狂乱に巻き込まれた山あいの温泉街はスキーブームにも乗って、高層マンションが立ち並ぶ近代的なリゾート地へと一変した。 【写真】満員のダンスホール、裏にはある仕掛けが…バブルの象徴「ジュリアナ東京」 跡地はどうなった?
昭和末期から平成の初めにかけ、首都圏から猛然と押し寄せたヒトやカネは地域に何をもたらしたのか。東京からの交通の便が良く「東京都湯沢町」とも呼ばれた「楽園」の今を現地で追った。(共同通信=中尾聡一郎) ▽豪華マンションが「捨て値物件」として取引 1室10万円。超高級ホテルでは1泊分にも満たないような金額だが、現在の湯沢町ではマンションが買えてしまう。苗場地区に物件を抱えるオーナーは「分譲時は数千万円した部屋が今は二束三文。10万円でもなかなか売れない」と一向に上向く気配がない取引の実情を明かし、ため息をつく。 地元不動産会社のホームページにはいわゆる「捨て値物件」の売却情報が複数掲載されている。例えば別荘そのものは10万円で買えても、管理費などで毎月数万円の経費を払い続ける必要がある。中古でも1億円を超える値が付く東京都心のマンションとは対照的に、湯沢町では多くのオーナーが所有価値が著しく低下した「負動産」の後処理に苦しむ。
湯沢町によると、町内のマンションは57棟に上り、戸数は計1万4665戸。30階建て以上のタワーマンションも4棟そびえ立つ。人口約8千人の町の規模と全く釣り合わず、需要と供給のバランスが崩れている。 開発の勢いはすさまじかった。1980年代半ばから町役場でデベロッパーの対応に当たった元町職員の高橋英夫さん(74)は「昼休みも取れないほど建築に関する問い合わせがひっきりなしに来た」と話す。 1970年代から80年代半ばまでは年1、2棟のペースで建てられたマンションが、89年度に10棟、バブル崩壊時の90年度には15棟にまで膨れあがった。高橋さんは「都市銀行に余りまくっていたカネが、地方の乱開発を誘発する異常な時代だった」と振り返る。 上越新幹線や関越道の開通といった交通インフラの整備で、旅行客が東京とすぐに行き来できるようになり、スキーブームも絶頂を迎えていた。都内の地価上昇で事業機会が減った大手デベロッパーや商社が相次いで湯沢町に進出。ウオータースライダー付きのプール、大浴場、ビリヤード場、ディスコといった“ナウい”設備を備え、物件の豪華さを競い合った。ミニ東京のような光景に「東京都湯沢町」という造語まで生まれる始末だった。