純烈だけじゃない!?SHOW-WAやMATSURIにつながる日本のボーカルグループ約90年の歴史
秋元康さんプロデュースのもと「昭和歌謡・昭和ポップスを現代に」というコンセプトで活動し、昨年、見事にメジャーデビューを勝ち取った、「SHOW-WA」と「MATSURI」。彼らのようなボーカルグループのスタイルが、過去から現在にかけて、どのように確立されたのでしょうか。今回は日本のボーカルグループの歴史について、昭和の名曲たちを振り返りながら、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組で紹介しました。 昭和歌謡・ポップスにスポットが当たる理由 当時を知るヒットメーカー「今の若い人たちに響くのは当然かも」 ※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2024年8月9日放送回より 【中将タカノリ(以下「中将」)】 最近、SHOW-WAとMATSURIというボーカルグループをよくテレビで見かけるようになりました。この2組は「夢をあきらめるな!男性グループオーディション」というオーディションを経て昨年結成された各6人組グループであり、「昭和歌謡・昭和ポップスを現代に」というコンセプトで、秋元康さんのプロデュースのもと活動しているそうです。 【橋本菜津美(以下「橋本」)】 私もチェックしていました。30代やアラフォーの方が多いですが、年齢を重ねた男性の魅力が出ていて、とても好感が持てました。 【中将】 そうですね。音楽にしてもちょっと懐かしい感じで、「純烈」さん的な路線を目指しているのかと思います。というわけで、今回は日本の男性ボーカルグループの歴史を振り返り、過去のグループが現代にどんな影響を与えているか検証したいと思います。まず紹介するのは、男性ボーカルグループの元祖・あきれたぼういず。彼らの曲より、『空晴れて』(1938)。 【橋本】 これはすごい! すごいテンポ早くて……戦前にこんなグループが存在したんですね! 音楽と漫談をミックスしたようなスタイルで、今の時代にあらわれても注目されそうなセンスです。 【中将】 1935年に吉本興業が浅草六区に浅草花月劇場をオープンし、レビュー「吉本ショウ」が始まります。その中で1937年に若手を中心に結成されたグループが、あきれたぼういずです。初期メンバーは川田義雄さん(※後に晴久)、坊屋三郎さん、芝利英さん、益田喜頓さん。芝さんは戦死されますが、他のメンバーは歌手、俳優、コメディアンとして戦後も活躍。川田さんは美空ひばり育ての親としても有名ですね。 【橋本】 やっぱりすごい人たちだったんですね! 【中将】 その後の音楽界にもお笑い界にも影響与えてますからね。菜津美ちゃんが言う通り、音楽と漫談の中間のようなスタイルなんですが、戦争に突き進んでゆく当時の世相を風刺していたりして、いろんな意味で面白いです。 さて、お次も日本の音楽界、芸能界に大きな影響を与えたグループです。ジャニーズの『若い涙』(1964)。 【橋本】 これがあの「ジャニーズ事務所」の元になったグループですよね。 【中将】 はい、あおい輝彦さんらが所属した4人組のグループでした。ジャニー喜多川さんの性加害問題は芸能界を揺るがす大問題に発展しましたが、ジャニーズ事務所は日本の芸能史を語る上で避けて通れないんですよね。 ジャニーズはもともと、ジャニーさんが教えていた少年草野球チームでしたが、一緒にミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』(1961)を観に行ったことがきっかけでエンターテイメントを志すことに。1962年に芸能界デビューし、歌って踊れる男性アイドルグループとして注目されました。 【橋本】 歌って踊れる系の元祖なんですね。いかにもアイドル的な歌い方と言い、やっぱり影響は大きいですよね。 【中将】 次にご紹介するのは、より音楽的な部分に特化したボーカルグループです。ザ・キング・トーンズで『グッド・ナイト・ベイビー』(1968)。 【橋本】 ゴスペラーズ的なスタイルなんですね! 【中将】 はい、ドゥーワップスタイルのR&Bですね。キング・トーンズは1958年にリードテナーの内田正人さんを中心に結成されたグループで、当時の人気歌手たちのバックコーラスも多数担当しました。はじめ、レコードデビューには消極的だったそうですが、1968年に周囲の勧めでデビュー曲としてリリースしたのがこの曲。オリコンウイークリーランキング2位を記録してアメリカでもレコードが発売され、1969年のNHK紅白歌合戦に出場しました。このスタイルは後のラッツ&スターやチェッカーズにも影響を与えていますね。 【橋本】 デビュー曲でこの安定感というのは、そんな背景があったんですね。 【中将】 はい、言うまでもなくすごいお上手です。最近の男性ボーカルグループってあまりハモったりせずユニゾンばかりの曲が多いから、音楽性的にはもっと頑張ってほしいなと思いますよね。 お次にご紹介するのはロス・インディオスで『コモエスタ赤坂』(1968)。ロス・インディオスは今ではムード歌謡グループの代表格として知られていますが、そもそもは1962年に棚橋静雄さん、チコ本間さんを中心に結成されたラテングループ。後に女性ボーカルにシルヴィアさんを迎えて歌ったデュエット曲『別れても好きな人』(1979)も有名ですね。 【橋本】 ムード歌謡って、「これがムード歌謡」っていうような定義はあるんですか? 【中将】 ありません。ラテン、ジャズ、ハワイアンなど1950年代~1960年代に流行したダンスミュージックを取り入れていて、都会的な夜っぽい歌詞の音楽が漠然と「ムード歌謡」と呼ばれたわけですね。そういう雰囲気モノという点ではシティポップと同じですよね。純烈さんもムード歌謡を名乗っていますが、その源流にはこのロス・インディオスや和田弘とマヒナスターズがいるわけです。 【橋本】 なるほどです。純烈さんのおかげで若い人にも「こういうのがムード歌謡」というのは伝えやすいですよね。古さは感じるけど、やりようによったら現代でも十分通用しそうです。 【中将】 韓国ではトロットと呼ばれる歌謡曲的なちょっと懐かしいポップスが今でも大きな支持を集めています。日本は一時、歌謡曲や演歌をダサいものとして切り捨てちゃったけど、最近ようやくその魅力が再評価されてきましたよね。 さていよいよ最後の曲ですが、次にご紹介するグループが、もっとも現代のボーカルグループシーンと親和性があるかもしれません。一世風靡セピアで『前略、道の上より』(1984)。 【橋本】 これまた一風変わった曲ですよね……「ソイヤ! ソイヤ!」と叫ぶだけの部分が多くて。 【中将】 これが柳葉敏郎さんや哀川翔さんがいたことで知られる「一世風靡セピア」のデビュー曲です。母体は日曜日に原宿のホコテンや渋谷公園通りの路上で歌ったり踊ったりしていた劇男一世風靡というパフォーマンスグループで、ルーツになる劇男零心会には風見しんごさん、野々村真さん、羽賀研二さんらも所属していました。 【橋本】 路上からそんなにたくさんのスターたちが誕生したんですね! 今じゃ規制が厳しくて難しいかも……。 【中将】 最近は規制をやかましく言い過ぎですよね。ともあれ、一世風靡セピアは演劇と音楽が融合したパフォーマンスみたいな感じで興味深いですよね。純烈さんももともと俳優だった方たちを中心に結成されたグループですし、やっぱり音楽っていろんな要素がプラスされることで面白くなるんだなと思います。 【橋本】 SHOW-WAとMATSURIもいろんな背景を持った方たちが参加しているようです。今後の活躍が楽しみですね。
ラジオ関西