【親孝行物語】「長男の“毒嫁”のせいで家族仲は険悪に…」75歳女性が夫の没後に気づいたこと~その1~
「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。 2024年12月6日、JR東日本は運賃改定を国に申請したと発表。2026年3月から値上げになり、例えば山手線では、切符の初乗り運賃が150円から160円に値上げすることになるという。これは、普通運賃のほか、通学・通勤の定期も対象で、国で認可に向けた審査が行われ、認可されれば正式に決定する。 東京都内で一人暮らしをしている美和子さん(75歳)は「10円の値上げを、なんとも思わないか、家計に響くと思うか……この感覚が合わないと、家族になるのは難しい」と語る。
女性専務に憧れて、婚期を逃す
美和子さんは、東海地方で生まれ育ち、結婚を機に上京した。30歳での結婚は、当時としては晩婚だったという。 「仕事が面白くて婚期を逃したんです。高校卒業後、公務員か民間企業かの選択があり、私は民間を選びました。勤めた会社は、昭和40年代当時としては珍しく、女性専務が取り仕切る会社で、本当に仕事が楽しかった」 当時、女性専務は40代後半で、社長はその父親で「お飾り」だったという。業種は卸売業で、小売店から言われるまま商品を納めるのではなく、専務は「今の流行はこうだから、この商品をお店に置いたほうがいい」という提案も忘れなかった。 「専務は時代を読む目が的確で、取引先からも信頼されていた。すらっとしていて美しく、皆が貧しい時代に海外ブランドの服を着ていました。頭にスカーフを巻いて、サングラスをかけている姿は、今でも覚えています。英語や中国語も勉強していて、“かっこいい女性だ”と憧れつつ夢中で働いていたら、あっという間に入社から12年が経過していました」 専務は戦争未亡人だったという。美和子さんに「結婚しなくても幸せだけれど、結婚しても幸せだから、一度は結婚したほうがいい」と夫を紹介してくれた。 「夫は専務の遠い親戚で、当時35歳。商社に勤務するサラリーマンで、国立大学卒で花嫁候補は多かったようです。東京に転勤になる際に結婚したいと専務に相談して、私に白羽の矢が立った」 夫は妻となる女性に対して、条件が厳しかった。賢くて向上心があり、容姿が整っている人を希望していたという。 「そのまんま専務なんですよ(笑)。私は容姿は劣りますが、専務の直弟子みたいなものだから、結婚はすぐに決まりました。私の両親にも異論はなく、地元で結婚式をして、すぐに東京に行ったんです」 当時、結婚していなければ、出世の道は開かれなかった。夫は結婚を機にとんとん拍子に昇進したという。 「私も当時30歳だし、子供は無理だろうと思ったら、翌年に長男、2年後に次男が生まれて、夫のヨーロッパ赴任が決まり、てんやわんやでした」 海外生活と慣れない子育てが重なっても、美和子さんは持ち前の前向きさと聡明さで乗り切った。 「言葉がわからないのは学べばいいし、日本人が差別されるなら、こっちも流せばいい。正面から受け止めるから、辛くなるんです。専務にヨーロッパに行くと報告すると、“国も夫も私たちを守ってくれない。普段、どんなに尽くしても情け容赦なく責任を押し付けてくる。何かあったら逃げることを考えなさい”と言われました」