玉川徹氏、ガーシー、吉村洋文氏、山本太郎氏・・・・・・「嫌われ者」が日本を動かす(レビュー)
玉川徹、西野亮廣、ガーシー、吉村洋文、山本太郎ら、毀誉褒貶つきまとう話題の人物に迫ったルポ『「嫌われ者」の正体―日本のトリックスター―』(新潮社)が刊行された。 熱狂的な支持者とアンチを生み出し、社会を二分する存在とも言える存在に、我々はどう向き合えばいいのか。著者で、ノンフィクションライターの石戸諭さんは「思慮深さ」をキーワードに上げる。
石戸諭・評「「思慮深さ」を失っていないか」
2006年からマスメディアの世界に入って、取材をして原稿を書くという生活を続けてきた。その間、旧来の価値観ではうまく捉えきれない“現象”も2010年代後半から増えてきたように思う。その一つがまさに本書の主題とする「嫌われ者」の存在である。 より正確に記せば、本書で取り上げた玉川徹、ガーシー、吉村洋文、山本太郎といった人物は全員に嫌われているわけではない。熱狂的な支持者を抱えているが、同時に同じような熱量で嫌われ、社会を二つに分割してしまう存在だ。一体、彼らはなぜ強烈に好かれる一方で、強烈に嫌われてしまうのか。その謎を、当人やその周囲を取材することで解き明かすというのが本書の趣旨である。 キーワードは「思慮深さ」だ。 私がかつて所属した新聞社、インターネットメディアでも社会現象を批判的に捉えることに価値をおいてきた。批判精神は大切だが、この時代に必要なのは時に安直すぎる批判よりも、丁寧な取材によって現象の本質に迫り、世に問うことだと考えてきた。本書は彼らの存在の是非に焦点は当てず、その存在がどのような意味を持っているかという問いを立てる。 「嫌われ者」が持つ最大の力は社会をあっという間に二つに分かつことだ。だが、彼らの言動に一喜一憂し、社会が振り回されていいのか。私はそうは考えない、という立場をとる。彼らの発言が一定の影響力を持つことがあったとしても、取材をもとに考えを進めれば、可能性だけでなく同時に限界も見えてくる。「嫌われ者」の言動は何らかの問題提起になることはあっても、多くの場合は社会が抱えている問題の解決には結びつかない。過激な言動に反射的に反対しても、熱狂的に賛成してもそこは変わらないのだ。 「嫌われ者」たち、そして彼らを生み出した構造はこの先も社会を騒がせるだろう。今の日本社会の分断はドナルド・トランプ氏が大統領に返り咲くアメリカに比べるとたかが知れている。しかし、それがいつまでも続くとは限らない。極端な言葉を巧みに使って、分断を煽る人々が登場しては社会が揺らぐことはほぼ確実だ。極論に流され、安易な二項対立に熱狂してはいけないのだが、私が同時代に見てきたのは、ジャーナリズムの世界にいる人々も含めた知識層もまた対立に熱狂したという現実である。 思慮深くあるということ――それはどんな荒波の中にあっても冷静さを失わない態度と言い換えることができる。考えてみれば私が憧れていたノンフィクションの先人たちの優れた仕事は熱狂から巧みに距離をとっていた。本書は彼らが積み上げてきた歴史に連なっている……。読後にそんな感想を持ってもらえれば望外の喜びである。 [レビュアー]石戸諭(記者・ノンフィクションライター) 1984年、東京都生まれ。記者、ノンフィクションライター。2006年に立命館大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年にBuzzFeed Japanに入社。2018年からフリーランスに。2019年、ニューズウィーク日本版の特集「百田尚樹現象」にて第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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