4年春の好投で"引退"を先延ばし、痛み止めを飲みながら148球を投げきり、完封勝利で有終の美「やりきりました」
痛み止めを飲みながらの「ラスト登板」で有終の美
大学ラストシーズンとなる秋に向けても好調を維持。プロ野球・巨人でプレーした左投手で主に投手陣を指導する荻原満ヘッドコーチは、夏のオープン戦の時期に「今投手で一番良いのは仁田だよ」と口にしていた。 ただ、ひじの痛みは完治しておらず、痛みと付き合いながらの投球は続いた。明確な投球制限をしていたわけではないというが、100球をめどにして、実際に100球を超えた試合は一度もなかった。 たが「ラスト登板」は例外だった。完封勝利を挙げた仙台大戦は「今まで野球を続けることができたのは周りの人たちのおかげ。家族や友人も球場に来ていたので、いいピッチングを見せられれば」と意気込み、痛み止めを飲みながら腕を振った。球数は自己最多の148球を数えた。 そして手にした念願の1勝。春とは異なり、今度は達成感に満ちていた。「秋までやって、こういう結果で終えられてよかった。やり切りました」と仁田。「最後に過去最高の投球だったのでは?」と尋ねると、「本当にその通りです」とはにかんだ。
やり切った野球人生「選択は間違っていなかった」
今秋の仙台大戦の第2戦では、同期のエース左腕・後藤佑輔(4年、仙台育英)が仁田に先立って完封勝利を挙げた。後藤とは下級生の頃からともに練習に励んだ仲で、仁田は「後藤は練習の鬼。練習量は絶対にかなわない。ライバルだけど一緒に頑張ってきた仲間でもあるので、いつも刺激をもらっていました」と話す。 そんな後藤と難波龍世(4年、仙台育英)、鎌田健太郎(4年、仙台)は社会人野球に進む予定。4年秋まで完走した仁田以外の4年生が3人とも大学卒業後も競技を続ける中、仁田はひじの痛みも考慮して野球人生に終止符を打つ決断を下した。 それでもやはり、後悔はない。「高校生の頃は公式戦であまり投げたことがなくて、3年夏も背番号10の2番手でした。大学で続けるかどうかも迷ったんですけど、その選択は間違っていなかったです」。2度離れかけたマウンドに別れを告げ、次の人生へと歩みを進める。
川浪康太郎