4年春の好投で"引退"を先延ばし、痛み止めを飲みながら148球を投げきり、完封勝利で有終の美「やりきりました」
大学野球では、3年秋や4年春のシーズンを終えたタイミングで競技を引退する選手も珍しくない。中にはそれが「慣例」となっている部もある。東北工業大学の仁田滉人(4年、利府)は、当初は4年春での引退を考えていた選手の一人。しかし、ある「心残り」が生じて引退を撤回し、4年秋の大学ラスト登板でその思いを晴らした。 【写真】痛み止めを飲みながらのラスト登板だったが、笑顔が目立った
仙台大学から11年ぶりの勝ち点奪取をもたらした完封勝利
今年の仙台六大学野球秋季リーグ戦で優勝した仙台大学に、唯一土をつけた東北工業大。近年全国大会への出場回数を増やし、NPB選手も多数輩出している強敵から勝ち点を奪うのは、2013年春以来だった。 仁田は1勝1敗で迎えた第3戦に先発。7回4安打無失点と好投したが、試合は7回降雨コールドで0-0の引き分けになった。約2週間後に持ち越された第4戦も仁田が先発し、これが大学ラスト登板。そして大学卒業後に野球を継続しない仁田にとっては、野球人生ラスト登板となった。 この試合でも、仁田は最速140キロの直球と5種類の変化球を織り交ぜた投球で仙台大打線を封じ込んだ。被安打5、与四死球7と再三走者を出しながらも粘り、9回8奪三振無失点。味方打線が二回と六回に奪った2点のリードを守り切り、「中学生以来」という完封勝利をやってのけた。 最終回は無死一、二塁から3者連続三振。しびれる展開の中ひょうひょうと投げ続け、試合終了の瞬間も派手に喜ぶでも、涙を流すでもなく、にこやかな表情で小さくガッツポーズするだけだった。だが、胸中には並々ならぬ思いがあった。
けがの功名で球速大幅アップ、4年春に初白星
「元々4年春でやめる予定で、春の仙台大戦は『これが最後だ』と思いながら投げていました。でも、その試合で良いピッチングをしたけど負けたのが悔しくて、1週間悩んで4年秋まで続けることを決めました」 3年秋までのリーグ戦登板は計6試合。すべて中継ぎで計9回を投げ、通算防御率は13.50。3年時はひじの故障に悩まされ、わずか1試合の登板に終わった。不完全燃焼のまま引退を迎えることも考えられたが、4年春に転機が訪れる。 故障の影響で投げられない期間、ウェートトレーニングに多くの時間を費やした結果、4年時に球速が最速140キロまで向上した。高校時代の最速は120キロほど、大学入学時も129キロだったことを踏まえると、大幅に上がった。実戦でも速球をうまく使えるようになり、オープン戦から中継ぎでアピール。4年春の東北大学戦ではリーグ戦初先発を果たし、5回2安打無失点の好投で初白星を挙げた。 その後の東北福祉大学戦と仙台大戦でも先発し、格上相手に粘投。特に仁田が「最後」のつもりで臨んだ仙台大戦は8回4安打2失点で完投した。1-2で敗戦。達成感よりも悔しさが勝ったため、ユニホームを脱ぐタイミングを遅らせることにした。