『逃げ上手の若君』時行たちが目撃した諏訪神党と国司の争い 中世諏訪と国司の微妙な関係とは?
クライマックスを迎えているTVアニメ『逃げ上手の若君』。物語は、二毛作の麦を収穫する季節を迎える。北信濃では国司・清原信濃守(CV:勝杏里)が本来納める必要のない麦を徴収し、抵抗する者を切り捨てさせるなど暴政を敷いていた。それに対抗して保科弥三郎(CV:稲田徹)が挙兵したことをうけ、時行(CV:結川あさき)たちは諏訪頼重(CV:中村悠一)の命で戦いを止め、保科勢を撤退させるべく現地へ向かう……という内容だ。今回は悪徳国司が強烈な印象を残したが、果たして当時の諏訪と国司はどのような関係だったのだろうか? ■地方官である国司と旧北条方の諏訪氏の対立構造 国司とは、律令制下において諸国の政務を任され中央政府から派遣された地方官である。 司法や祭祀など国の運営に関わる様々な仕事を任されていた中で、税の徴収もまた重要な役割のひとつだった。ただし国から定められた分量の税を収めてしまえば残りは自分の収入として懐に入れることを認められていたため、国司はその在任中にできるだけ財を蓄えようとするのが常だった。 『今昔物語集』で帰国する途中で谷から落ちた信濃守・藤原陳忠が崖下でキノコを見つけ、上で右往左往する人々の心配をよそに自分の救援活動よりキノコの採集を優先させたエピソードは「受領は倒るるところの土をも掴め」の言葉とあわせて国司の貪欲さを表すものとしてよく引き合いに出される。 鎌倉時代になると幕府が設置した守護が力を持って国司の権利を侵害することも多く、国司制度はほとんど形骸化してその地位を世襲した一族が蓄財するためのシステムとしての側面の方が目立つようになっていた。 鎌倉幕府を倒して旧来の制度の刷新を目指した後醍醐天皇は、全国に守護と共に国司を配置したうえでその権限を拡大させ、国内全般の指揮命令権を与えた。ただし基本4年間とされていた国司の任期は、この時期の信濃国司については長くても一年半程度で頻繁に交替していたようである。 信濃国では国衙に侍所が設置され国司の武力として組織されていたが、国司に与えられた軍事統率権は同時に鎌倉幕府以来守護に与えられた重要な職掌のひとつでもあった。 足利尊氏が与えられた相模国などのように、国司と守護を同一の者が務めている場合には何の問題もないが、信濃国には守護として小笠原氏の存在があった。さらにもともと信濃は鎌倉時代から武士たちの主張が強く、国司のいうことを聞かない土地柄だった。そうはいっても帝に任命された国司を疎略にもできず、貞宗は国司の存在を目の上のこぶのように感じていたのかもしれない。 諏訪氏をはじめとして北条氏との繋がりが強い武士たちは新任の国司や守護に対して不満を募らせており、北条時行の挙兵に先立つことおよそ4か月前の建武2年(1335)3月には北条氏の与党・常岩宗家が蜂起した。この際、軍勢催促を受けた市河助房は直接命令を下した国司ではなく、守護である小笠原貞宗のもとに参陣してその指揮下で常岩宗家の攻撃に加わっている。国司と守護、一つの国内に軍事を統率する存在の分裂によって在地の武士の中でも混乱があった様子が垣間見える。助房にしてみれば、戦については素人同然の公家より、同じ武士である意味では気心の知れた貞宗と行動を共にしたほうがやりやすかったのかもしれない。
遠藤明子