杉咲花×ミヤタ廉×浅田智穂による『52ヘルツのクジラたち』鼎談。トランスジェンダーの表象と、日本映画界の課題
安吾が迎える悲劇的な結末を、どう受け取ったか
ー本作の安吾は最終的に自死という結末を迎えます。ハリウッドでは前向きな作品がつくられているなかで、本当にこの展開でなければいけないのかと疑問に感じる人が、自分も含めたくさんいるのではないかと思います。この点も物議を醸すと考えますが、いかがでしょうか。 杉咲:私も安吾の悲劇的描写は議論を呼ぶと思っています。先ほども話しましたが、これまで多くの映像作品で性的マイノリティの命を道具のように利用して、過度な痛みや罪を背負わせてきた歴史があって。 私は小さいとき、例えば「オカマ」や「レズ」「ホモ」などといった性的マイノリティに対する侮蔑的な言葉をテレビを通して知りましたし、時にそれは笑ったり馬鹿にしてもいいものだという認識のなかで育ってきました。それがどれほど当事者を傷つけて、置き去りにしてるのかを考えもせずに。それを無邪気に笑えるのは特権を持っているマジョリティの人たちだけですよね。そうやって映画やドラマ、テレビの業界が偏見を助長してきたということをしっかりと考え、反省しないといけないと思うんです。 性的マイノリティの人が、本人が望むまま誰にも邪魔をされず、当たり前に生きている姿がこの先一つでも多く描かれてほしいと思っています。 でも一方で、安吾が劇中で受けたような経験をしてきた方というのも、現実にはまだいるのではないかと思っています。古い価値観によって起こる出来事に焦点を当てることも映画の役割だと私は思うんです。ただそれを描くことはすごく繊細な領域に踏み込むということでもあるので、実態を注視することが必要だと感じます。今回監修に入ってくれた佑真くんは、心を痛めながらも当事者の目線から作品に寄り添って、物語に深く入り込んでいってくださいました。その覚悟に、心からの尊敬と感謝を抱いています。 私は『52ヘルツのクジラたち』が、時代のなかで“乗り越えられていく”作品になってほしいと願っています。歴史として振り返った時に、当時はまだここで悩んでいたんだ、こんな苦しみがあったんだと知る過渡期の作品として。未来ではこんな悲劇が語られることのないように、歴史の1ページとしてこの物語が生まれたと信じたいんです。 浅田:トランス男性が映像作品で描かれること自体が少なかったと思うので、その点では本作はこれまでにない作品だと思っています。 ー確かに世界的にもトランス男性が描かれることは少ないですよね。透明化されているなかで、トランス男性の物語を描く意義は大きいと思います。 浅田:今回安吾さんに起きてしまったことはたしかに悲劇であるのですが、その背景にトランス男性であるという属性や経験はもちろんありつつ、それだけではない要素について気にかけました。そこに至るさまざまな要因があり、安吾だからその選択をしたものとして描けないか、というのは念入りに話し合った部分です。 ミヤタ:性的マジョリティの登場人物のなかで、性的マイノリティのキャラクターだけが自死する。本作に限らずですが、マジョリティの葛藤や成長を描くために性的マイノリティを便利使いしてしまう、こうした物語の構造が繰り返されてきたことに懸念を感じていました。 「トランスジェンダーという点『だけで』悲劇になった、悲劇を背負わされている、かわいそう」という見せ方にならないように、打ち合わせの初日から最後の日まで、とにかく話し合い続けました。 第三者の目に触れる可能性を考えず手紙という形で主税(ちから)に思いを伝えた安吾の行動、貴瑚の人間関係の扱いにみる幼さ、主税のアウティング、お母さんが安吾にかける最後の言葉など……。 物語として、その結果に至る背景にある人間性や人間関係、感情、同時にそこから創られる結果に対し、幾度も真摯に議論を重ねましたし、それぞれが提案できる限界まで出し切った自負はありますが、正解を導き出せたのか? といまでも自問自答しますし、どのように観客の皆様が受け取られるか、正直不安にも思います。 ただ、このシーンを通じて、安吾というトランスジェンダーのキャラクターを主要製作陣一同、「世の中にしっかりと存在する」人物として、大切に扱ったという事実はお伝えできます。 杉咲:私は、小説は言葉を尽くして表現されるものという認識があります。それに対し映像表現の場合は、黙ってそこに立っていなければならない瞬間も時にはあって。そこに行き着くまでにどんな時間を経てきたのかを観客に共有するためには、加えたり引いたりすることで成り立つ表現もあると思うんです。原作からの脚色は、町田先生とのコミュニケーションも通して、非常に繊細なケアが行なわれていたように感じています。 ミヤタ:そういうシーンをなくせばいいという単純な話ではなかった。原作者である町田そのこさんが書いた物語が第一にあり、原作をリスペクトしたうえで、どう当事者のことを考えながらつくることができるかが大切だったと思います。 浅田:原作と脚本の話といえば、打ち合わせのときに杉咲さんが持っていた原作と台本に貼っている付箋の量が尋常じゃなくて。その付箋だけで一冊の本ができるんじゃないかと思ったくらいでした。杉咲さんの原作へのリスペクトと映像化にあたっての覚悟と責任感を感じ、私も一層真摯に向き合わなくてはと覚悟を決めました。 ートランスジェンダーの表象と同時に、周囲がその人をどう受け止めるかという描写も重要だと思いますが、その点は本作ではどのように考えられましたか? 杉咲:本作ではアウティングのシーンが含まれています。それは絶対にしてはならない行為だと示すことが作品の姿勢として必要だと考えていました。アウティングをしたことを主税が貴瑚に打ちあけた際に、貴瑚がどういう態度でいるべきなのかという話は結構しましたよね。 ミヤタ:大きく時間を割いたトピックの一つだったかもしれないですね。