杉咲花×ミヤタ廉×浅田智穂による『52ヘルツのクジラたち』鼎談。トランスジェンダーの表象と、日本映画界の課題
トランスジェンダー男性役のキャスティングについて
ー皆さんはハリウッドにおけるトランスジェンダーの誤った表象の歴史と変遷についてのドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド』(2020)はご覧になりましたか? 全員:はい。 ーその作品で、当事者の方が「メディアで重要なのは、情報源を増やすためにもっと多様なトランスジェンダーを描くこと」だと語っていました。そういう意味で本作の意義は大きいと感じる一方、トランスジェンダー男性を当事者の俳優が演じていないことに関しては間違いなく議論を呼ぶと思うのですが。 杉咲:そこは議論になって然るべきだと思います。本作に限らず、より広く作品を届けるために知名度のある俳優の起用が必要という制作側の意見をよく耳にするんですね。 オファーをいただいた段階で、安吾のキャスティングにおいて当事者が演じることは選択肢のなかにあるのか、確認しました。たしかにキャスティングの影響力という点には納得する部分もあります。でもそもそも影響力を持つ俳優のなかに、なぜ当事者が含まれてないのかを見つめ直す必要がありますよね。それは当事者に実力がないのではなく、業界や社会が活躍できる環境を整えてこなかったからで。それは自分も含めた制作側が重く受け止めていくべきことだと思うんです。そしてこれからは当事者が活躍する場を増やしていかなくてはいけないと思います。 一方で、自分のなかで変化を感じた部分も本作にはあって。これまでの映像作品では、例えばトランス女性役をシス男性が演じることが多かったと思うのですが、トランス女性を知らない人からすると“男性の女装”という偏見を助長してしまいかねない危険性がありますよね。 そういった意味で、本作のトランス男性をシス男性が演じるということは、一歩だけ進んだアプローチなのではないかと感じています。そして、批判を受けることも理解したうえで、自分が演じる意味があるかを葛藤した末に、安吾という役を引き受けた志尊くんに対して、私は敬意を抱いています。佑真くんと志尊くんが緻密な話し合いを重ねながら安吾をつくり上げる姿には感銘を受けましたし、この映画の根幹を支えてくれたように感じていました。 ー当事者起用が進まないという現状がありながらも、主人公のトランスジェンダー女性を当事者オーディションで抜擢した東海林毅(しょうじ つよし)監督の『片袖の魚』(2021)といった短編映画も誕生し、反響を呼んでいます。 ミヤタ:今回でいえば志尊さんと若林さんが二人三脚で作り上げた安吾というキャラクター構築は、本当に素晴らしかったし、志尊さんが演じたことがとてもよかったと思っています。 初めての打ち合わせの際に、なぜ安吾役が当事者俳優ではないのか? と監督とプロデューサーに尋ねました。決して志尊さんのキャスティングに不満や不安があって聞いたのではなく、当事者俳優の起用について、どう考えているのか? は安吾というキャラクターをともに考えていくにあたり、重要なことと繋がっているように思えていたので、考えや思いはきちんと知っておきたかったのです。 私は、当事者俳優の起用については俳優さんのカミングアウトの問題などを考えると「厳密に当事者俳優を必ず起用しなければいけない」とまでは考えていません。 いまは欧米でもいろいろなスタンスが提案されつつある。しかし、当事者の表象も、当事者俳優が活躍できる機会も少ないのが現状で、その背景には業界や社会の不平等の問題があると思います。当事者俳優を上映規模感の大小に関わらず、映画の主役レベルで起用できるという事は選択肢の一つとして日本でできるように実現しなければいけない。 日本の映画業界はそれを可能にするための過渡期にあると考えています。まずは、LGBTQ+の表象や物語が多様に数多く創られることがそれを実現するための第一歩だと思っています。 浅田:私もこの作品の依頼をいただいたとき、一番最初に「トランスジェンダーを演じられるのは当事者の方ですか」と確認しました。結果的に志尊さんが演じられて素晴らしい作品になりました。ただ、この規模の作品で当事者の俳優が演じる準備が日本の映画業界ではまだ出来ていないという状況は残念です。 その点に関しては、ハリウッドから4、5年は遅れている気がします。『トランスジェンダーとハリウッド』に登場する俳優は皆さんトランスジェンダー当事者でしたが、いまの日本はあのようなドキュメンタリーがつくられる段階ではない。その差が埋まってくれれば良いなと思います。 ーハリウッドでもこの数年で大きく変わりましたよね。『トランスジェンダーとハリウッド』ではトランス役がいつも悲劇的な最後を迎えることを指摘されていましたが、トランス女性を当事者が演じる『エニシング・イズ・ポッシブル』(2022)というティーンのラブコメも生まれたり、悲劇ではない物語が語られだした印象を受けます。 ※以降、物語の重要なシーンに関する内容を含みます。あらかじめご了承ください。