【AIとアート入門】前編:「コンピュータは創造的か」の問いに私たちはどう答えるか? レフィーク・アナドールから近年の研究事例まで(講師:久保田晃弘)【特集:AI時代のアート】
「コンピュータは創造的か」という問いは適切ではない
──美術史家と科学者が相互の知を持ち合うような対話をすべき、というのは非常に重要な指摘ですね。そうしたことは実際にすでに起きているのでしょうか? 久保田:研究者、批評家でアーティストでもある英ゴールドスミス・カレッジのジョアンナ・ジリンスカが、2020年に『AI ART』という本を書きました。彼女自身が、人工知能をテーマにした2017年のアルスエレクトロニカのシンポジウムに招待されたことが、ひとつのきっかけとなって生まれた本ですが、この本は、人工知能を現代の美術や人文学の文脈に乗せて批評を行った、貴重な事例のひとつです。今日の画像生成や大規模言語モデル旋風が起こる前の、GoogleのDeep Dreamや、GAN(敵対的生成ネットワーク)の時代の言説ですが、アートとAIをめぐる、いくつかの重要な視点を提示しています。 この本が最初に指摘しているのが「『コンピュータは創造的になれるのか(Can computers be creative?)』という良くある問いは、AIを語るためには適切ではない」ということです。人工知能を使ったアートについて考えるときに、よく「コンピュータも創造的になれる」とか「人間ほどの創造性はない」という二項対立的な議論を行いがちですが、それは議論を誤った方向へと導きます。コンピュータを使った作品制作は、人工知能研究の始まりと同じく1950~60年代に始まりましたが、その時代のコンピュータ・アートと、最近のAI駆動型のアートとの間には、そもそも存在論的な違いがあるのか、それともたんなる程度の違いに過ぎないのか。ジリンスカは、AIによるアートの生産よりもむしろ、アートの受容の問題を取り上げます。そしてアートを含む様々な人間の活動は、そもそもつねに技術的であり、ある程度は「アーティフィシャリー・インテリジェント(人工的に知的)」であったことを強調します。 ジリンスカは『AI ART』の前に『ノンヒューマン・フォトグラフィ(Nonhuman Photography)』(2017)という本を書いています。写真はいかにして表象主義を超えられるのか、という問いを「写真はつねにある程度非人間的である」というテーゼから語り、さらにそれを人新世やポストヒューマンの問題と絡めていきます。彼女はこの議論を、AIに対しても連続的に拡張していくことができると考えています。AIや機械学習の問題は、人間の創造性というよりも、人新世を生み出した地球温暖化や環境問題、あるいはポストヒューマンの問題と地続きであるという視点なんです。 ジリンスカは「AI ART」は類型的な呼称ではなくひとつの命題であり、その「最大の野望は、『アート』と『人工知能』という2つの概念の概念的・学問的な出会いを演出することである」であると語っています。美術には美術の、AIにはAIの「厄介な歴史と価値」があります。その両者が出会う場をいかにつくっていけるのか。それはワシレウスキと共通の射程です。ジリンスカも言うように、AIの出現によって芸術制作の⽬的は変わるのか、AIは芸術の新しい条件や新しい観客を⽣み出すのか、そして芸術とはそもそも何なのか、AI後の芸術とその受け手は誰になるのか、といった継続的な問いをもう一度考えていく必要があります。そうすることで芸術家は、AIについてのよりよい物語を語ったり、AIとともに⽣きる、よりよい⽅法を想像できるようになるはずです。