石浜繁子81歳「腱鞘炎になっても、勉強できて幸せだった」64歳で保育士資格取得。お母さんたちがゆっくりできる居場所をと、自宅の居間を絵本文庫に
64歳で保育士の資格を取り、70歳まで現役で働き続けた石浜繁子さん。夫亡き後は、子育て中の母親と子どもが気軽に集まれる場所にと、自宅に文庫を開きました。81歳となった現在も精力的に活動を続けています(構成:野田敦子 撮影:田原由紀子) 【写真】絵本がずらりと並んだ本棚 * * * * * * * ◆お母さんたちを支えたい 試験を受けると決めたら、勉強せねばなりませんから、何はさておき文房具を買おうと張り切ってデパートへ。ちゃんとした鉛筆やノートを買うのがうれしくてね。自分のために買い物することなんて長い間なかったから、憧れていたの。 お気に入りの鉛筆を握りしめて、教科書をひたすら書き写しながら暗記しました。あんまり力を入れてノートをとるもんだから、腱鞘炎がひどくなって肩までジンジンしびれたほど。それでも勉強できて幸せだったし、時間が経つにつれて自信がついたのか、年齢は関係ないと思えてきて。 そんな努力が実を結んだのは、2回目の受験のとき。どうやら最高齢の合格者だったらしく、「64歳の保育士誕生」なんて照れくさい記事が地元の新聞に載ったりもしました。 あんなに年がら年中、口うるさく命令していた夫が、試験勉強中はかいがいしくサポートしてくれたのもうれしい誤算でした。どこで情報を仕入れたのか、「スルメを噛むと脳が刺激される」「青魚を食べると頭がよくなる」なんて言って、せっせとごはんを作ってくれたの。 そのことを私が記者の方に話したもんだから、「内助の功」なんて新聞に仰々しく書かれてね。主役は私なのに。本人は、まんざらでもなかったみたいだけど。(笑)
思えば、私が保育士をやりながら「ファミリー・サポート」(行政が行う会員制子育て支援サービス)に登録して地域のお子さんを預かりたいと言ったときも夫は反対するどころか、一緒に子どもの世話をしてくれました。 何も言わなかったけど、もしかしたら、彼も自宅を地域に開放し、他人の子どもを預かることに生きがいや喜びを感じていたのかもしれません。 ファミリー・サポートといえば、忘れられない出来事があります。あるご夫婦が生後2ヵ月の赤ちゃんを連れてきたときのこと。産まれて間もない頃はおうちにいたほうがいいという思いもあり、お断りするつもりでお話を聞いていたのです。 そしたら、ご主人のほうが突然、「子どもを預けるなんて育児放棄ですよね」って言ったの。あまりに時代錯誤で一方的な物言いにカチンときて、「短時間ならお預かりできますけど」って引き受けちゃった。失敗したと思ったけど後の祭り。家の奥から、夫の「あーあ」というため息が聞こえてきました。 当時はまだ、イクメンなんて言葉もなかった時代。こんなふうに、ちょっと預けるだけでも母親を責める人がいたの。それが、どうしても許せなくてね。保育園にお迎えに来るお母さんが、子どもを2人、3人連れて、人数分の大荷物を持ち帰る背中を見ては胸が痛んだものです。 いつか、お母さんたちがゆっくりできる居場所を作りたい。そんな気持ちがどんどん大きくなっていきました。「ゆめのき文庫」が芽吹く根っこは、保育士時代に心の中で少しずつ育っていったんです。