時代遅れが時代を超える。葛藤と相克、魂込めた建築家・村野藤吾-目黒区役所
女性の評価と関西財界の文化力
女性的な造形といわれる。 それは今述べた王朝美学の点からも間違ってはいない。 しかし女性の評判がいいかというと、案外、そうでもない。 実は筆者がこれまでに耳にした村野建築に対する三つの批判はいずれも、建築界の人ではないが、建築に造詣の深い女性からのものだ。 「村野さんの数寄屋は真面目すぎて料亭には向かない」 「日生劇場のあこや貝の天井は生理的に受けつけない」 「新高輪プリンスホテルの装飾は少女趣味ではないか」 いずれもハッとするような、男性の特に建築界の人間には思い至らないような批判であるが、ポイントを突いている。しかしそれが、建築家としての村野を傷つけることにはならないとも思われるのだ。 設計者としての経歴が長いので、作品の数は多い。 関西を中心とする店舗、事務所、ホテルといった商業建築が多く、丹下作品のように国家的な記念碑的なものと比較すれば、いわば卑俗な建築である。そういったところに建築家の力量を見出し、仕事をさせていくことに、関西財界人がもつ、旦那としての反骨と文化力が現れている。これは安藤忠雄にもつうじることだ。 これからの世に、こういう建築家はもう出ないだろう。
もう一方に白井晟一
日本建築界稀代のスーパースター丹下健三(1913~2005)に対峙するカリスマとして、もう一方に白井晟一(1905~1983)がいる。 京都高等工芸学校の図案科を出てベルリン大学で哲学を学ぶという、つまり建築家の範疇を超える履歴である。戦後日本の主流となったモダニズムに対峙する姿勢をつらぬいたという点では村野に並ぶのであるが、村野以上に伝統の力を意識し、和風と洋風をほぼ区別なく扱った独特の建築家だ。東京では松濤美術館が知られている。 図案と哲学を学び、装幀や書を手がけていた。つまり村野が徹底して建築に魂を込めたとすれば、白井はむしろ、彼の造形哲学の対象のひとつとして建築を扱ったといえる。 丹下健三には、その前方(年齢的な意味)に村野藤吾、少し前に白井晟一、後方に篠原一男が対峙している。篠原については別に書きたいと思うが、いずれもカリスマだ。丹下を中心とする日本の主流モダニストの社会的な力(権力といってもいい)の強さが、そうさせるのであろう。つまりカリスマとは、時代に流されず、権力におもねらず、自己をつらぬくことによって、周囲に神秘的な影響を与える人物のことだろう。 村野作品を実体験する筆者のお薦めは、洋風なら箱根(芦ノ湖)プリンスホテル(東京から近い)、和風なら京都佳水園(現在ウェスティングホテルの一部)、モダンなら広島平和記念聖堂である。 平和記念聖堂の設計における丹下との確執の顛末は前(東京カテドラルの項)に書いたので参照していただきたい。