高2の秋は“背番号なし”…中日のドラフト6位・有馬恵叶 ひと冬で球速と制球安定させた源は「自分はできる」
◇新時代の旗手2025~ドラフト6位・有馬恵叶 「何で転ぶんよ! 負けちゃったじゃん!」。少年が声を荒らげながら握った拳を相手にぶつけていた。母・三恵さん(51)が当時勤めていた銀行で行員を対象にして開催した運動会での一コマ。リレーで三恵さんの前でこけた前の走者に怒っていたのが当時2歳の有馬少年だった。たたいていた相手が部署の上司だったため三恵さんは一瞬肝を冷やしたというが、「私の子どもだなぁ」と見つめていた。 ◆中日ルーキートリオ、緊張のラジオ生出演【写真複数】 「とにかく一番じゃないと嫌だった」と本人も認める筋金入りの負けず嫌い。負けん気な性格はすぐに個人競技の分野で発揮されていった。2歳から始めた水泳、3歳から始めた柔道では高い身長と長い手足を生かして活躍。走り幅跳びの選手としても県上位に食い込むレベルだった。 団体競技へと変わったのは小学1年のとき。2学年上の兄・桜叶(さくと、19)さんと一緒にソフトボールチーム「和霊ジュニア」へ入団。小学6年のときは長い手足を生かしたウインドミルから投じる真っすぐを武器にチームを全国大会でベスト16まで導いた。 しかし、中学のときに所属した宇和島ボーイズでは制球難もあり、主戦場は外野手。聖カタリナ学園に進学した後も制球は定まらず。1イニングで四球を連発して交代されることもあった。 「高2が終わるまで全然ストライクが入らなかった」 2023年9月3日。新チームで臨む秋季大会の背番号発表の際、有馬の名前は最後まで呼ばれなかった。その日は三恵さんの誕生日。悔しさ、情けなさで自分からは何も言い出せなかった。チームから与えられた役目はスコアラー。「聖カタリナの投手は自分の投球を振り返るためにスコアの書き方を覚えます。秋季大会では他の投手に見てもらうために書きました。自分は何をしてるんだろうと」と振り返る。 かみしめた悔しさが負けん気に火をつけた。秋季大会後、「春の大会で背番号をもらえなかったら野球をやめる」と三恵さんに告げた。有馬なりの決意表明だった。トレーナーから体幹トレーニング中心の個別メニューをつくってもらい、日付が変わるまで黙々とこなした。 ひと冬の間に体の軸が安定し、球速と制球が安定。春季大会では背番号18、さらに最後の夏は背番号1をもらった。公式戦初登板となった初戦の今治西戦で1失点完投勝利を挙げると、計4試合で先発して、同校初めてとなる甲子園出場の原動力になった。「自分はできる。そう思ってやってきました」。生粋の負けず嫌いはプロの世界でも自分の可能性を示していく。
中日スポーツ