坂口涼太郎、原点を振り返る「朝ドラ4作品出演で、声をかけられるように。仕事がなかった時、おかっぱヘアでオーディションに合格」
変身願望は、実は子どもの頃からありました。コンサートやミュージカルを観に行っては家でちゃぶ台に乗って、歌い踊る。1歳とか2歳とか、物心がつく前からやっていたみたいです。 ずっと、両親が好きで僕を連れて行ってくれていたんだろうと思っていたのですが、どうやら僕の反応がいいので行くようになったと、最近母から聞いてびっくり。1歳くらいの時に行ったディズニーランドのパレードを皮切りに、ひとりっ子の僕に子ども向けのショーからサーカスやバレエまで、いろいろなものを積極的に見せてくれました。 幼稚園時代の夢は「サーカス団の人」。ちゃぶ台だけでなく、祖母がやっていたスナックでも歌って踊って拍手をもらう。そんなちびっこでした。 夢が動き出すきっかけとなったのが、9歳の頃に住んでいた神戸で観た劇団四季の『キャッツ』。 僕は5歳から7歳くらいまでひどいアトピー性皮膚炎でした。自分でもひどい肌荒れだと思っていたけれど、小学校の入学式で握手をする時、同級生にアトピーの肌を指さされて、「それ、触ってもうつらないよね?」と言われて。とっさに、「うつらないから平気だよ」と笑って答えたけれど、「僕は人が触りたくないと思う人間なんだ」と思ってしまったんです。 その思いが根底にあって『キャッツ』劇中歌の「メモリー」を聴いた時、僕は号泣したんです。ボロボロの衣装の娼婦猫が、自分に触ってほしいと歌うのを聴き、心に蓋をしてきた「触れてほしい」という願いが歌われたようだと感じました。 『キャッツ』を観て以来、自分もミュージカルの舞台に立ちたいと思って、劇団のオーディションを受けようかなと考え始めました。 でも、何でも億劫がる性格が災いして、すぐには動き出さず……。見かねた母が「あなたがやりたいのはお芝居じゃなくてミュージカルでしょ」と言って、「歌は得意だと思うけど、踊りもできなきゃダメだから」と、地元のダンス教室を探してくれました。 そうして通い始めたのが、森山未來さんのご両親が営むスタジオ、モダンミリイでした。
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