【毎日書評】いまここにある不安や視点を変える天才プロデューサー「世阿弥」のことば
やめればそこで終わり
声変わりのように、いままで評価されていたことが通用しなくなる時期があるものだと世阿弥は述べています。では、そんなときにはどうすればよいのでしょうか? この頃の上達の方法とは、指をさされて笑われても一生この道を進むと決めること以外にない。やめてしまえばそこで終わりなのだ。『風姿花伝』(159より)
成長する人の学び方 1
どんなに努力家の実力者でも、生まれ持った天才を超えることは至難の業だとふつうは考える。 しかし、実際は、才能と努力が合致し、成果を出している人間は万人に一人もいないほど稀だ。なぜなら、多くの才能の持ち主は慢心しているからだ。 そもそも上手な人にも悪いところがあり、下手な人にも良いところが必ずある。ここに注目する人はあまりいないし、本人も気づいていない。 上手な人はうまいと褒められるために、悪いところに意識を向けない。下手な人ははなから努力をしないため、自分の悪いところに気づかないばかりか、良いところも自覚できない。『風姿花伝』 だからこそ大切なのは、誰であれ人に尋ねること。才能と努力が成果につながっている成功者は、人に聞くことの大切さを知っているものなのだといいます。(160より)
成長する人の学び方 2
うまい人というのは、どんなに見劣りする人からでも良いところを見つければそれを学ぶ。これが上達の方法である。 もし未熟な人の中に良いところを見つけても、下手な人のしていることは取り入れないというプライドがあると、自分の改善点を見つける気持ちにはならないだろう。 これでは成長はストップしてしまう。『風姿花伝』(161より) 未熟な人も、上手な人の悪いところを目にしたら、「上手な人にも改善点があるのだから、自分にはもっと改善すべき点があるだろう」と危機感を持って工夫をするべき。 そうすれば、本当の意味での効率化を達成できるはずだから。逆に「自分だったらあんな悪いことはしないなあ」と慢心していたら、自分のよいところも使いきれなくなってしまうわけです。 「上手は下手の手本、下手は上手の手本」とは、下手のよいところを取り込んでさらによくするという意味。人の悪いところから学べるのであれば、よいところを学ぶのはさらによいはず。つまりは、これ以上ない学習法だということです。(161より)