[キャンドル・ジュンさん]福島に通い13年 炎で困難は乗り越えられるか…“騒動”を経て考えたこと
キャンドルはメディア
――福島で、キャンドルを灯す活動を続けています。きっかけは何だったのですか。 6月の「月命日」に「灯してくれないか」と、いわきの人たちから言われたんです。すごくうれしくて、みんなと一緒に灯したいからキャンドルに、それぞれの想(おも)いを書いてほしいとお願いしました。 すると、壮絶なメッセージが並びました。「お父ちゃん帰ってきてほしい!」「原発が憎い」……。キャンドルは一つのメディアだなと思いました。メッセージが生々しくて、これは続けないといけないと思いました。 ――10年以上、活動を続けられてどうですか。 キャンドルに書かれるメッセージは、「熊本の皆さん頑張ってください」とか、今で言うと「能登の皆さん、頑張って!」などという内容が増えてきました。子どもたちには、夢を書いてもらっていますが、「人の役に立ちたい」といったものが多く、大変な災害の中で頑張ってきた大人たちを見ていたんだなぁと思います。「福島の子どもたちの夢がかなうことが復興なのでは」と思ったりしています。 ――キャンドルを灯す意義は何でしょうか。 祈り。ずばり、そういうことかなって思っているんです。 8月6日になると、いろいろな人が広島に集まり、いまだにこの悲しみから学ばない世界に対する怒りや悲しみを口にします。だから亡くなられた方々は成仏できないのだとも。いつの日か戦争や核兵器をなくしたら、「あなたたちの悲しい出来事から学びました。もう安らかに眠ってください」と追悼の火を灯したいと思っています。そして次の年からは、それを祝うお祭りにしていくべきだと考えています。 福島の原発周辺地域ではまだ帰れない人もいるし、行方不明の人もいる。終わっていないんです。だからこそ、月命日に灯しているんです。「まだまだ忘れてなんかないよ! たくさんの仲間たちとにぎやかにやってるよ」という信号の明かりを灯しているんです。