「がんで死ねるのは幸せだ」…「透析患者の死」はタブー視され、死の臨床に生かされない「異様な現実」
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】透析患者には「緩和ケア」がなく行き場がない… 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈なぜ日本では「透析患者の死」を語るのはタブー視されるのか?…「まるで透析患者に死は永遠に訪れないかのよう」〉につづき、透析患者の「死」について見ていく。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
福生病院の「透析中止」
2019年3月、夫の死から1年8ヵ月後の朝、自宅に届いた朝刊のうち、毎日新聞の一面に掲載された衝撃的な見出しに目を奪われた。 ──透析患者に『死』の提案 治療中止7日で死亡 2018年8月、透析クリニックで維持透析をしていた44歳の女性が透析中止を選択し、入院先である東京都の公立福生病院(以後、福生病院)で1週間後に死亡した。報道から半年後、遺族である夫と息子は、医師が患者に対して十分な説得や説明、適切な救命措置を行わなかったとして、病院の運営母体に対して慰謝料等の支払いを求める損害賠償請求訴訟を起こした。 翌年の日本透析医学会では、福生病院の「透析中止」が最大の議題となった。メディア関係者が殺到し、会場はヒリヒリするような緊張感に包まれた(冒頭の営業マンが私を取材者と知って飛んで逃げた理由はこれだったかもしれない)。 後述するように、福生病院のケースが大きく取り上げられて以降、透析患者の「死」に関連する各種データが徐々に表に出始めた。影響は透析医学会のみならず、他の学会にも及んでいく。もし私の夫が、福生病院のケースが問題になったあとで亡くなっていたならば、私が得られた情報の量も質も違っていたかもしれない。 福生病院のケースはのちに日本の透析医療の歩みを振り返るとき、ひとつのエポックとして刻まれるだろう。裁判はすでに和解しており、本稿はこの問題を改めて精査する目的は持たないが、事実の経緯を眺めれば、私がこれから展開する透析医療の問題点が明確に浮かび上がる。やや硬質な記述になるが、まず事実関係を確認しておきたい。 私は、東京地方裁判所104号法廷で行われた、被告人と原告に対する証人尋問をすべて傍聴した。原告開催の報告会、関連シンポジウム、各種学会でも取材を行った。以下、他の報道機関による情報も精査したうえで、時系列で事実の経緯を記す(各種記録からの引用は趣旨を変えない範囲で句読点や重複を整理した)。 ■死亡した患者(女性・44歳)糖尿病の合併症で腎不全、4年前に血液透析を導入 維持透析は近所のクリニック。福生病院にはシャント管理で6回受診。「今のシャントが使えなくなったら透析は止めたい」、透析は「痛い、辛い」と話す。通院は車椅子で、送迎する夫に迷惑をかけていることを気に病む。3年前にも透析を中断した経験があるが、終末期ではない。2001年の妊娠中に糖尿病発症、医師から「うつ病」を指摘されたことがある。 ◆2018年8月9日(死亡の1週間前) シャント閉塞で透析ができなくなり、急きょ福生病院を外来受診。シャントに代わる頸部(首)へのカテーテル留置手術を拒否。担当医は「血液透析は治療では無い。腎不全というものによる死期を遠ざけているにすぎない。多くの犠牲もつきもので、最も大切なのは自己意志である。今後も透析を継続して延命を図るのであれば新規アクセスの造設を行うが、透析の継続を望まないのであれば手術は行う必要は無い。その場合2~3週間程度の寿命となる。どうするかの選択は本人意志」(診療記録64頁)と説明。患者は透析中止を決め、医師は透析離脱証明書を作成。病院の方針を知ったクリニックの医師は患者に「透析を続けたほうがよい」と伝え、福生病院に診療情報提供書を書き、「1~2週間よく話しあって決めたほうがいい」と求めた。 ◆8月10日 夫婦で福生病院の外来を再受診、透析中止の意志を確認。体調急変時には福生病院へ搬送することなど話す。 ◆8月13日 自宅で過ごすうち、夜になって呼吸苦を訴え始める。 ◆8月14日(死亡2日前) 午前中に福生病院に入院、夫は治療してもらえると思っていたが、病院の方針は「看取り」。患者は「(透析中止は)自分で決めた。だけどこんなに苦しくなるとは思わなかった。撤回するならしたい、でも無理なのも分かっている」と話し、夫は医師に対して「本人が苦しいから治療(カテーテル留置手術)をやって楽にして欲しい」と伝えた(乙A1・116頁)。この日、透析は再開されず。 ◆8月15日(死亡1日前) 午前中は患者の体調がやや回復。患者は夫に「離脱を撤回したい」、「でも先生になかなか会えない」と訴える。夫は「じゃあ、自分からも先生に言っておく」と答えるも、夫は午後、ひどい胃痛で福生病院の救急外来を受診、そのまま緊急手術となる(甲C6・11頁)。これ以降、夫は患者に会えなかった。 ◆8月16日(死亡当日) ⃝1時45分 「苦しい」「息ができない」と大声で訴え、透析再開を求める。朝までの8時間に11回、「苦しい」とカルテに記載あり。 ⃝7時50分 患者は夫の携帯電話に「とうたすかかか」とメール。患者の死後、これを確認した夫は、とう=父さんで「とうさん、たすけて」と自分に助けを求めていたことを知った(甲C6・11~12頁)。 ⃝9時45分 患者は呼吸苦で看護師に対して「こんな苦しいなら透析した方が良い、(透析中止を)撤回する」(乙A1・149頁)と訴えるも透析は再開されず。看護師の所見=「呼吸困難によって、本人の意思は揺らいだ」(同165頁)。 ⃝11時 長男らが病室に到着。患者は「本当に苦しい」、「(夫が)先生と話してるかな」と話し、夫が医師に透析再開の話をしたかどうか気にする(甲C7・3項)。 ⃝11時45分 長男らは医師より病状に関する説明を受けた(乙A1・149頁)。 長男が「透析を再開できないでしょうか」と質問、医師は、「呼吸困難によって意識が混乱している。意識がはっきりしていた時の意思を尊重する」、「本人が離脱の意思を示しているので、現状を維持することしかできない」と透析再開はできない旨の説明を受けた(甲C7・4項)。 ⃝長男が病室へ。患者は「家に帰りたい」、「苦しいからどうにかして欲しい」、「また 透析できないかな」、「また元気になりたい」、「この苦しいのがなくなるなら、透析やめると言ったけど、これが楽になるなら透析でも何でもやって欲しい」、「先生に話してと父ちゃんに言ってあるから」、と話すも、この後は苦しさと痛みを訴え、まともな会話をすることができなくなる(甲C7・5項)。 ⃝午後2時 医師が患者に意思確認すると、患者は「手術するつもりはない、とにかくつらいのがイヤ。取ってください」と答えた(法廷証言、カルテに記載なし)。 ⃝午後2時12分 ドルミカム(催眠鎮痛剤)による持続点滴(鎮静)を開始。 ⃝午後5時11分 「永眠のためプラン解決にて終了」とカルテに記載。 続いて法廷での証人尋問のうち、重要なやりとりを2点に絞って記す。 《証人尋問1》は、弁護士による担当医への尋問。患者が亡くなった日、「患者が透析再開を望んでいなかった」と述べた医師の証言はカルテに記載がない。この点が焦点となり、法廷は緊迫した空気に包まれた。 《証人尋問1》2021年7月14日(尋問調書20頁) 原告代理人 「あなたが彼女に会いに行ったというのはいつなんですか」 担当医 「11時半過ぎだと思います。3件目の手術が終わってからです」 原告代理人 「そのときに、その患者本人に会って、どういう会話をしたんですって」 担当医 「昨日結構つらかったみたいだけどという話をしています。今は大丈夫ですと、咋日のことは正直あんまり覚えてないというふうに本人は言ってました」 原告代理人 「そのこともカルテに出てないけど、どうしてなの」 担当医 「書いてないです。基本的に、先ほどお話ししたように、何かをしたときに即カルテに記載するという仕事の仕方は基本、うちらはできてないです」 原告代理人 「うん、そのときはなぜかと聞いてるんだけど」 担当医 「忙しかったからです」 原告代理人 「忙しかったときの記載というのは、皆そんなことになるんですか」 担当医 「なります」 (中略) 原告代理人 「あなたが患者本人に最後のところで話に行ったという場面ですけども、何時頃だったということですか」 担当医 「2時過ぎじゃないかなと思います」 原告代理人 「あなたの言われたことはカルテに出てないですけど、なぜですか」 担当医 「この日は非常にばたばたしてまして、うちらの仕事の体制として、何かをしたときに、その直後にカルテを記載するということは余りないです。大体その日の終わりにまとめて記載をするというケースが多いんですが、今回の件は夕方にお亡くなりになってしまってそのままになってしまったので記載がないのかなというふうに思います」 原告代理人 「現場には看護師さんはおられたんですか」 担当医 「看護師はおります」 原告代理人 「看護師がおったら看護師が書くんじゃないんですか」 担当医 「それは仮定の話なので、ちょっと私には分かりません」 続いて《証人尋問2》は、同日に行われた担当医に対する裁判官の尋問だ。 裁判官は、担当医が作成した承諾書に、透析中止の意思決定を患者がいつでも撤回できる趣旨の記載がなかったこと、透析を再開しなかった経緯に注目した。 《証人尋問2》(尋問調書40頁) 裁判官 「8月9日の時点で患者に対してカテーテル留置の手術を今後いつでも受けようと思えば受けることができますよというような説明はされたんでしょうか。それともされてないんでしょうか」 担当医 「していないです」 裁判官 「それはなぜですか」 担当医 「今までの外来プロセスの中で、もう今日が最終決定で、これでもうすべてを覆せないということではないし、気が変われば患者自身も空気感で理解をされてるのかなと、これが最終決定で今後方針を変えられることもできませんよとも話してませんし、今日はそういうことでということなので、改めて気が変わったらまた来てくださいということもお話ししていませんし、もう来ないでくださいということもお話ししていませんしということですね」 その後、東京地方裁判所は、福生病院の側に不十分な点があったとして、今後の改善策を約束させる和解条項と解決金の支払いを勧告。原告・被告ともこれに合意した。 裁判所は和解条項前文で、「患者を死に誘導した経緯があったとは認められない」とした上で、病院側の改善点として、▽医療内容についての適切な説明と患者の理解を得るよう努める▽患者が意思表明をした後もそれを変更できる▽患者の意思に変更がないか家族らとともに確認することなどが求められた。 夫は和解後、次のようなコメントを発表した。 ■遺族(死亡した患者の夫)のコメント 私が裁判に訴えたのは、なぜ透析を再開してくれなかったのか、なぜ急に死んでしまったのか、その経緯と真実を知りたかったからです。これまで公立福生病院の先生からは何の説明もありませんでした。今回、裁判に訴えて、分からなかった事が見えてきました。8月15日の夜から16日までの、自分が胃の手術を受けている間、痛みや苦しみの中で透析再開を妻が必死に訴えていた事を知る事が出来ました。自分が何もしてやれなくて物凄く悲しくなりました。あれだけ必死に訴えているのに病院側は対応してくれなかったことも分かりました。先生は、本人が混乱した状態で言ってる事だと言いますが、混乱していたとしてもなぜその時によく話をして本人と向き合ってくれなかったのか? 混乱していたのはおそらく相当な苦しさがあったからだと思います。苦しくて混乱した中でも助けを求めていたのだと思います。(略)。 これから先、同じような事が起きないように、患者への意思確認をこまめにしていって欲しい、命の尊さを今一度よく考えてほしいと思います。