“異色”オーディション『No No Girls』に感じる新しい波 プロデューサー「ちゃんみな」の姿勢に共感続出
「人を泣かせるんだったら、あなたは1000度泣かなきゃいけない」というのはちゃんみなの言葉。それを地で行くような候補者たちの努力の跡が、歌やダンス、そしてその表情からぐいぐい伝わってきたからである。 いずれのグループも実に個性豊か。「ちゃんみなのところにはこんな人たちが集まるんだね」と、パフォーマンスを見ていたボイストレーナーは感嘆していた。 ■オーディションは、単なる競争ではなく居場所を見つけるためのものになった
日本のアイドルの歴史は、オーディション番組とともにあった。 1970年代の『スター誕生!』からは山口百恵やピンク・レディー、1980年代の『夕やけニャンニャン』からはおニャン子クラブ、1990年代の『ASAYAN』からはモーニング娘。、さらに近年は『Nizi Project』からはNiziUといったように、各時代を代表する女性アイドルがオーディション番組から生まれてきた。その伝統のなかに、この『No No Girls』もある。
だが一方で、女性アイドルのありかたは、一定の価値観に縛られてもきた。たとえば、「アイドル=かわいい」という考えかたはそうだろう。 アイドルとは未完成で未熟な存在で、だからこそ成長するため一生懸命努力する。その姿は確かに魅力的だ。だがそこには保護者的な上から目線が入り込んでいる。アイドルは守られるべきか弱い存在であり、だから「かわいい」。 『No No Girls』には、そんな価値観によって「No」を突きつけられた候補者もいる。その候補者は、他のオーディションを受けてみて、自分の声質を考えたとき「かわいらしいアイドルにはなれない」と悟った。だが歌とダンスで自分を表現したいという思いはどうしても消えない。だからこのオーディションを受けた。
1990年代、平成以降になると、オーディションは候補者同士の競争という側面が強くなった。だがそこでもまだ、年齢などの応募条件がついていることがほとんどだ。『No No Girls』では、その条件さえも取り払って、どんな属性の人かにかかわりなく、ただ自分という存在を表現し、証明することだけを求められる。 つまり、いまオーディションは、単なる競争ではなく、本当の自分らしくありたいという人たちが「ここ」だと言える居場所を見つけるためのものになりつつある。