ビル・ゲイツ、オバマ元大統領が絶賛 世界的ベストセラー『FACTFULNESS』に学ぶ、データに基づく批判的思考とは?
ビジネス書の名著・古典は多数存在するが、あなたは何冊読んだことがあるだろうか。本連載では、ビジネス書の目利きである荒木博行氏が、名著の「ツボ」を毎回イラストを交え紹介する。 連載第15回は、ビル・ゲイツ、バラク・オバマ元アメリカ大統領も大絶賛した、世界で100万部のベストセラー『FACTFULNESS10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作・関美和訳、日経BP)を取り上げる。データや事実に基づき「世界を正しく見る」スキルとは? ■ なぜ悲観論が絶えないのか? ニュースをぼーっと見ていると、この世界はなんとひどい世の中なんだろうかと思うことはないだろうか? どこかの国の戦争では爆撃されて多数の市民が亡くなり、別の街ではテロが起きている。次のニュースでは、身近な街では線状降水帯の影響により洪水が発生し、家や車が流されているようだ。そして、テレビに映った政治家は、選挙に向けた演説で「あの政治家によって社会は変貌してしまった。このままでは日本は滅びる!」と大きな声でがなりたてている。 世界は残酷な場であり、そしてそのひどさは日に日に増している…と思ってしまっても仕方ない。しかし、実態はどうだろうか? ニュースのドラマチックさとは裏腹に、私たちの日常は大抵平凡なはずだ。確かに昔と比べて生きづらくなったこともある。しかし、むしろテクノロジーの恩恵により、かなりラクになったこともあるはずだ。決して一方的に、急激に悪化しているなんてことはない。でも、なぜこういう悲観的な論調が絶えないのだろうか? 本書『FACTFULNESS』のイントロダクションには、その理由がこう書かれている。
「あなたは、次のような先入観を持っていないだろうか。『世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう』 少なくとも西洋諸国においてはそれがメディアでよく聞く話だし、人々に染みついた考え方なのではないか。わたしはこれを『ドラマチックすぎる世界の見方』と呼んでいる。精神衛生上よくないし、そもそも正しくない。」 私たちは何百万年にもわたる人類の進化の過程で、この「ドラマチックすぎる世界の見方」を身に付けてきた。差し迫った危険から回避するために、わずかな気配や情報を悲観的に、誇大に解釈した祖先が生き残ってきたからだ。今この世に生きている私たちは、みんなこの「ドラマチックすぎる世界の見方」を持った祖先の子供たちだ。 ■ やる気がないのは、本当にスマホのせいなのか? しかし、残念ながらその「ものの見方」は、今、私たちの目の前にある社会にフィットしていない。現代は、瞬発的に動いて生命的な危機を回避することの優先順位はそれほど高くはないからだ。 差し迫った生命の危機がない現在においては、地に足をつけて、ファクトからじっくり考えて判断することの方が大切なのだ。だが、この私たちが祖先から引き継いだ「ものの見方」は、現実社会を歪んだ形に映し出す。 例えば、ある組織に、あまり覇気の感じられない若手が入ってきたとする。そうすると、「Z世代はやる気がなくて、単に与えられたことをやって給料さえもらっていればいいと思っている。先日、同僚からも似たような話を聞いた。これはスマホによってある程度のニーズが充足されてしまうせいだ。私たちの時代は違った。みんなハングリーさに溢れていた。このまま若手を放置していると、わが社の将来は危うい」…なんてことを言い出す人が出てくるかもしれない。 その頭の中では、「やる気がある人」と「ない人」という形で物事を分断し、「スマホ」という犯人を仕立て上げ、その傾向がこれから悪化するというようにネガティブな方向に思考を進めてしまっているのだ。この考え方のベースにあるのは、本書にある以下6つの本能の組み合わせ技だ。 分断本能:「世界は分断されている」という思い込み 過大視本能:「目の前の数字がいちばん重要だ」という思い込み パターン化本能:「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込み 犯人捜し本能:「誰かを責めれば物事は解決する」という思い込み ネガティブ本能:「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み 焦り本能:「いますぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み そして、この6つの本能にとらわれた人が権力を持っていれば、この例の場合、勢いで若手向けの研修制度を変えてしまうかもしれない。 しかし、もう一度冷静になって考えてみよう。事実としては、単に一人の若手社員が、やる気がなさそうに見え、同僚から似たような話を聞いただけのことなのだ。そこからは勝手な妄想に過ぎない。 実際にやる気に溢れた若手もいるだろうし、そもそもやる気なんてそんなに簡単にある、なしと分けられるものではない。仮に若手にそういう傾向があったとしても、それが重要なことかどうかは分からない。昔からそうだったのかもしれない。実態は、ものすごく平凡で、ドラマチックなことは何も起きていない…という可能性だって十分あるのだ。 だから、私たちは「やばい。すぐに何かをしないと大変なことになる!」と思った時ほど、祖先たちからのギフトである「ドラマチックすぎる世界の見方」の影響かもしれないと疑う必要がある。そこで一歩立ち止まって考える必要があるのだ。