「サブカルとJ-POP」1970年代編、長髪、全共闘、CMソング、ウーマンリブ、暴走族
サブカルチャーとメイン・カルチャーが交錯する最前線
教訓 I / 加川良 1971年7月に発売になりました加川良さんの「教訓Ⅰ」。1970年に行われた「第二回中津川フォークジャンボリー」でステージに飛び入りで歌ったのがこの曲なんですね。先週の終わりに1969年がサブカルのルネッサンスの年だったという話をしました。日本で最初の野外イベントが始まったのが1969年、中津川。フォークジャンボリーですね。ウッドストックより早いんです。ウッドストックの真似をしたわけではないというのは、あえてお伝えしておいた方がいいかもしれませんね。ベトナム戦争の泥沼化の中で、日本がそこに加担していくことへの反対の声が、音楽の中でもあちこちであがりました。 1969年に始まった「中津川フォークジャンボリー」。そして大阪では1971年から天王寺公園で「春一番コンサート」が始まりました。春一番を始められた福岡風太さんはこの間、お亡くなりになりました。僕はお名前しか存じ上げませんでしたが、御冥福を申し上げます。頭脳警察。こういうムーブメントの中では、頭脳警察の話をしなければいけないんですね。「教訓Ⅰ」にしようか、頭脳警察にしようか、どっちにしようか迷ったのですが、PANTAさんは今年1カ月間追悼の特集を組んだので、こちらにしました。頭脳警察はビクターのヒット賞ももらっているわけですから、単に過激なバンドだったわけではないんですね。音楽的な支持もたくさんあったということはお伝えしておかなければいけません。 70年代のサブカルというのは、反戦とかこういう政治的なことだけだったわけではなくて、いろいろな新しいカルチャーが生まれてきた。CMソングというのも、その中の1つでした。 サイダー’73 / 大滝詠一 サイダー’76 / 山下達郎 お送りしましたのは1973年の大滝詠一さんの「サイダー’73」と山下達郎さんの「サイダー’76」。三ツ矢サイダーのCMソングですね。作詞が伊藤アキラさんでプロデュースが大森昭男さん。先週話に出た三木鶏郎さんの鞄持ちとして始まって、自分で発足したCM音楽制作会社がONアソシエイツ。はっぴいえんど解散を決めたばかりの大滝さんを起用したのが、この大森さんですね。大森さんはその前にはっぴいえんどがバックだった岡林さんを起用して、MG5のCMソングを作っているんですね。そのときにこの若者たちは才能があるなと思った。で、大滝さんはこのサイダーのCMソングをレコードにしたがったのですが、受けてくれるレコード会社がなくて、結果的にエレックレコードになった。そこからシュガー・ベイブもデビューした。大滝さんが今度のサイダーは達郎にということで、「サイダー’76」が誕生した。そういう経緯があります。 CMソングはメイン・カルチャーからまだ相手にされていなかったんですね。大森さんがそういう扉を開いて、タイアップ戦争と呼ばれる競い合いが70年代の後半に始まって、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドとか矢沢永吉さんとか、それまでCMに縁のなかった人たちが起用されて大ヒットを飛ばしていく。それがサブカルチャーとメイン・カルチャーが交錯する最前線だったんですね。CMソングの革命でありました。来週、80年代にもこのCMソングは登場します。次のキーワードは「女性」です。