「サブカルとJ-POP」1970年代編、長髪、全共闘、CMソング、ウーマンリブ、暴走族
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。 2024年7月の特集は、「サブカルとJ-POP」。802でもやらない夏休み自由研究というテーマのもと、2カ月間に渡ってサブカルと音楽の話を渡り掘り下げていく。 こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのは中島みゆきさんの「時代」。1975年発売の2枚目のシングル。2018年に出た『中島みゆき ライブ リクエスト -歌旅・縁会・一会-』からお聴きいただいております。今月の前テーマ。そして来月もこの曲で始めようと思います。 時代 / 中島みゆき サブカルとJ-POPの3週目。70年代編ですね。50年代にはまだ戦後生まれの人たちが赤ん坊だったわけですが、60年代、70年代になって成長してきて、それまでの世代がやってきた音楽と違う音楽を求めていく。そして、そういう人たちがメインの流れを侵食していく。それが70年代なんですね。 サブカルチャーという言葉が使われたのが、この時代なんです。忘れられないのが1970年に創刊された雑誌があったんですね。季刊『サブ』というリトル・マガジンで発行が神戸サブ編集室というところだったんです。創刊号が「ヒッピー・ラディカル・エレガンス <花と革命>」。編集長が小島素治さんという人で、神戸は日本のウエスト・コーストだっていう旗をかかげてた。風通しの良い本でしたね。メディアの中でサブカルチャーという言葉を堂々と使った、それを旗印にした最初の雑誌でしょうね。今週はそんな匂いのする特集になればと思いながらお送りします。70年代とサブカルはいろいろなことがありましたけどもね、キーワードを選んでみました。最初は「長髪」。この曲です。 結婚しようよ / 吉田拓郎 1972年1月発売、吉田拓郎さんの「結婚しようよ」。サウンドプロデュースが加藤和彦さんですね。松任谷正隆さん、林立夫さん、小原礼さんをこのときに呼んだ。今日は渋谷のオーチャードホールで加藤和彦さんのトリビュートコンサートの東京公演が行われているはずですね。いいコンサートになったと思います。これをサブカルと言うと、え、拓郎がサブカルなの?というふうに思われる方もいらっしゃるでしょうが、これ長髪の歌なんですね。僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら結婚しよう。こんな歌は史上ありませんでした。ファッションとしての長髪なのですが、アメリカの西海岸で抵抗のシンボルとして生まれたのが、この長髪。近代化に抗するとか、武器でなく花をというメッセージがあったヒッピーカルチャーが日本の若者の中で定着した、長髪賛歌がこの歌なんですね。 日本のメイン・カルチャーも長髪禁止でしたからね。拓郎さんはそういうメイン・カルチャー側からのメディアから総攻撃されたという。でも若者たちはこの曲を熱狂的に支持した。私も髪の毛を伸ばして結婚をした一人でありました(笑)。 春よ来い / はっぴいえんど 1970年8月発売、はっぴいえんどのデビュー・アルバム、通称『ゆでめん』の1曲「春よ来い」。家を飛び出してしまった若者の歌なんですね。家出しちゃったんですね。家さえ飛び出なければみんなでお正月を過ごせたのにというちょっと苦い歌ですね。間違えたと思った。でも、すべてをかけてやってみよう。ロックバンドというのは世の中を外れることとイコールでしたからね。ドロップアウトという言葉があったんですね。自分から落ちこぼれる、世の中の外にはみ出る。はっぴいえんどは前進がエイプリル・フールというグループでありまして、新宿の花園神社の横にパニックというディスコがあって、そこで夜な夜な演奏していたんですね。新宿は当時、サブカルの街でありました。フーテン、アングラ演劇、ニューシネマ、そして全共闘。そういう有象無象がなんかおもしろいことはないかということで集まってきている、そういう街だったんです。 1969年に新宿西口でフォーク集会があったり、花園神社でこの間お亡くなりになった唐十郎さんの状況劇場が公演をやったりという、そういう街でした。先週最後の曲、「かもめ」。浅川マキさんも新宿の出身。もう1人いるんです。藤圭子さん。「新宿の女」という歌がありましたからね。新宿24時間キャンペーンというのをやっていました。私はそのときに取材しましたが、これは政治的な意味ではなくて、1つの出来事には右と左がある。左がはっぴいえんどだとしたら、右が藤圭子だったのかもしれないなと思いますね。両方ともサブカルだったと言えるかもしれません。そういう若者たちが集まった野外イベントがこの時代に始まりました。野外イベントがサブカルでした。