「命を守るフライト」 CA出身・日本航空“初の女性社長”の覚悟
「命を守るフライト」のため、日頃から準備を欠かさないという鳥取社長。その原点は入社1年目の1985年にありました。 この年、日本航空の旅客機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。520人の命が失われました。 日本航空 鳥取三津子社長 「これは絶対に風化してはいけない。JALグループの社員全員、何の仕事をしていても、必ず安全の仕事につながっていることを忘れないでいてほしい。会社の中でも『現地・現物・現人』を大切にしていますので、そこは私も本当に大切だと思っています」 事故現場に実際に行く「現地」、機体や遺品などを実際に見て事故に関わった人の話を聞く「現物」や「現人」。社員全員にこの3つを大切にし、事故から学びを得て安全への意識を徹底してほしいと語りました。
変えてはいけない安全への思い。一方で、鳥取社長が変えていきたいと話すのが、日本航空のある“風土”です。 日本航空 鳥取三津子社長 「破綻でかなり臆病になった。失敗を恐れるという文化」 2010年の経営破綻が会社の“トラウマ(心的外傷)”として残り、事業提案など、新しいことにチャレンジする社員が大きく減ったと感じていました。 日本航空 鳥取三津子社長 「本当は『こんなことやりたいのに』と思っていることがあるならば、まずは口にだしてもらって、それを本当にやる価値があると思うなら、しっかり後押ししたいと思う」
“チャレンジする風土”を作るため、海外研修や社外出向などを通じて多様な文化や価値観に触れる機会を増やしてくほか、年齢やキャリアにとらわれず、人材を登用できる人事制度の導入も検討しています。 環境問題や人口減少社会など、業界や日本全体の課題の解決にも意欲を見せた鳥取社長。「安全の徹底」と「チャレンジ精神」、2つの目標を両立させて日本航空を変えることができるのか、手腕が問われます。