新疆ウラポ古城、魅力あふれる詩情
【東方新報】新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)ウルムチ市(Urumqi)の郊外に残る遺跡「烏拉泊古城(ウラポ古城、Ancient City Of Wulabo)」は試験的に一般公開され、初めての見学者を受け入れた。 唐から元時代の重要な遺跡「ウラポ古城」は、長年風雨に晒されながらも、多くの関係者による遺跡保護の努力で、今もなおその姿を留めている。歴代中央政府の新疆地区に対する有効な統治の輝かしい歴史の証として、血縁と運命を共にしているという深い詩情を醸し出している。 唐代の詩人・岑参(Cen Shen)の有名な辺塞詩(辺境の事物や思いを詠った詩)『白雪の歌、武判官の帰京を祝う』に「輪台東門送君去、去時雪満天山路(輪台の東門で君を送る、おりしも天山路は雪に満ちている)」という一節がある。 多くの考古学者は、ここで言う「輪台(Luntai)」とはウラポ古城を指していると考えている。学術的に定説とまでは言えないが、岑参や辺境の駐屯地にいたその他の詩人たちが、この地で数多くの詩を詠んだことは確認されている。 彼らは家族や故郷を離れ、危険や困難に立ち向かい、命を懸けていた。やはり唐代の詩人王昌齢(Wang Changling)の辺塞詩『出塞二首(Chusai Ershou)』の一節では「秦時名月漢時関(秦の時代に輝いていた名月や漢の時代の城塞は、今も変わらず目の前にある」と、辺境の地に佇む作者の思いが表現されている。そして「不破楼蘭終不還(楼蘭<Loulan>を平定せずには帰らない)」という豪気な決意もしっかりと示されている。 ウラポ古城は、国境を安んずる彼らの英雄的な行為を目撃し、文化交流の歴史的足跡を刻み、古今東西に衝撃を与えた壮絶な人生の詩情は、時を超えて現在まで流れ続けている。 ■古城から溢れ出る「辺境安寧」への思い やはり岑参が河西節度使(河西地域の統治官)の劉単(Liu Dan)が砂漠の西にある安西都護府(安西地域の統治拠点)に赴くのを見送った時の詩の一節に「寒驛遠点如、辺烽互相望(寒風吹く駅舎が遠く点のように見え、烽火台が連なって辺境を見張っている)」とある。 ウラポ古城は天山(Tianshan)山脈の北麓の交通の要衝であり、周辺の烽火台とともに、山間の白水澗道(Baishui Jiandao)沿いの軍事防衛システムを形成し、天山山脈の南北を結ぶ交通の安全と円滑性を確保し、唐時代の中央政権による西域の統治を担う重要な拠点だった。 宋時代の詩人曽協(Zeng Xie)が辺境に赴く兄に送った漢詩の一節「将軍の斧を握り、旗を立て使者として赴く、毛皮の鎧と細い帯の軽装で、再び辺境の地の平定に赴く」は、報国と辺境平定という揺るぎない決意を表現している。 新疆地域の長期的な安定は、漢朝時代の著名な司令官・班超(Ban Chao)や清朝末期の大臣・左宗棠(Zuo Zongtang)など歴代の人物たちの願いであり、また、現代においても私たちが心を一つにして努力している目標でもある。 古来より今日に至るまで、国を守り、民を守り、辺境を安定させ、国土を開発することは、国境安定と国家防衛という実践的な価値を凝結させ、祖国統一の保持という現実的な意義を顕著に表すことである。 ■古城から流れ出る極めて美しい詩情 やはり岑参の『白雪の歌、武判官の帰京を祝う』の一節「忽如一夜春風来、千樹万樹梨花開(一夜の春風で一斉に咲く満開の梨の花のように美しい雪景色だ)」は、まさに岑参の素晴らしい雪景色の比喩的な表現であり、私たちが大切に守っている雄大な山河と文化の輝きでもある。 ウラポ古城は、重要な文化遺産として古典的な美しさを備えた絵のように美しく詩情溢れる遺跡であり、また現代的な美の魅力と精神を備えた場所でもある。このような古城が美しさを保ち続けているのは、新疆地区が文化遺産を粘り強く慎重に保護してきたからに他ならない。 「毎年の定期修繕、季節ごとの巡回点検、日々の観察確認」といった日常的な管理とメンテナンスを強化することで、より多くの新疆の文化遺産や宝物が輝きを放ち、中華民族の共同体意識を強化する上で積極的な役割を果たしている。 文化の活力の持続、文化的精神の覚醒、文化の魅力の解放、そして貴重な文化的遺産や文物は「美其美、美美与共(それぞれ自らの美を美とし、他者の美を美とし、自他の美を共通の美とする)」という、著名な社会学者・費孝通(Fei Xiaotong)が唱えたような、互いに認め合い調和する共同社会の実現を、私たちに語りかけ、教えている。 ■古城から流れ出す「融合」という詩的なリズム 唐時代の詩人・張喬(Zhang Qiao)の詩『書辺事』の一節「大漠無兵阻、窮辺有客游(広大な砂漠に兵の姿は無く、寂しい辺境にただ旅人がさまよう姿だけがある)」に表現されているように、連なる烽火台に沿いながら、旅人は異なる文化が融合する、遮るものとて無い「シルクロード」の地を往来した。 唐時代の通貨「開元通宝(Kaiyuan Tongbao)」、灰色の双耳の壺、花柄紋の青銅鏡など、ウラポ古城から出土した文化財は、当時の中国の「中原」(黄河流域)と呼ばれた地域から出土した文化財と共通性があり、古くから新疆の各民族が経済的に相互依存し、文化的に互いに寛容で、感情的にも互いに親密であった事実が充分証明されている。 新疆和田(ホータン、Hetian)の尼雅(Niya)遺跡から出土した漢時代の「五星出東方利中国(水火木金土の五行星が東方に現れ、中華に福をもたらす)」と刺繍された錦織の射籠手(いごて)から、クチャ市(Kuqa)で出土した千種類の異なる字体を羅列した「千字文(Qianziwen)」、そしてトルファン市(Turpan)近郊のアスターナ古墳(阿斯塔那古代墳墓群)で出土した1400年前の宝飾を散りばめたような文様の「月餅」まで、これらは全て新疆地域一帯の交流と融合の歴史を明確に示す証拠であり、新疆の各民族が中国文化と深く結びついていたことを十分に証明している。 全ての文化遺跡や文化財は、時空を超えた長編叙事詩のようなものだ。 辺塞詩の中で「輪台と伊吾(Yiwu)で土地を耕し、見渡す限り穀物や豆の畑が広がる」と表現された壮大な光景、「果てしない砂漠の雄大な城塞で国境を守る強い意志」と表現された使命感、「玉門関(Yumenguan)を越えて春風を呼び込む」という新鮮な韻律は、過去と現在が交差する場所で、私たちの「中国心」と「中華魂」を絶えず突き固め、新時代に向けてさらに素晴らしい詩を紡ぐよう私たちを鼓舞しているのだ。(c)東方新報/AFPBB News ※「東方新報」は、1995年に日本で創刊された中国語の新聞です。