「政界のフィクサー」「球界のドン」渡辺恒雄氏が残したもの…御厨貴名誉教授に聞く
■“提言報道”で「憲法改正」訴えも
読売新聞社長に就任したのはソ連が崩壊した1991年。冷戦の終結とともに、一層踏み込んだ政治力が紙面で発揮されます。終戦50年の節目を迎えようとしていた1994年。一面に憲法改正の試案を掲載し、自衛力の保持を明記するよう訴えました。それまで半ばタブー視されていた憲法議論が呼び起こされました。 時を経て2017年、安倍政権時代。その憲法をめぐり、政権と読売新聞との距離感が問われたこともありました。これまた一面で安倍総理のインタビューを掲載。9条に自衛隊を明記すること、2020年施行の目標が打ち出されました。すると、国会で議論が吹き上がります。 民進党 長妻昭議員(当時) 「なんで国会で言わないんですか」 安倍晋三総理大臣(当時) 「憲法について議論する場は本来、憲法審査会の場だと思います」 民進党 長妻昭議員(当時) 「一切ここで言わずに報道やビデオではどんどん発言される。そのやり方について私は非常に違和感を感じる」 安倍晋三総理大臣(当時) 「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてあります。ぜひそれを熟読していただいて」 ヤジ 「そんなひどい…新聞読めっていうのかい。そんなバカなことないでしょ」
■“政界を揺るがす”新聞記者
与野党をつなぐフィクサーとして動いたこともあります。2007年、ねじれ国会で窮地に追い込まれた福田康夫総理に、小沢一郎代表率いる民主党との大連立を呼び掛けました。福田・小沢の党首会談が行われましたが、民主党内で反対の声が強く、大連立構想は頓挫。小沢代表の進退が持ち上がります。渡辺氏を直撃すると…。 渡辺恒雄氏 「(Q.小沢党首が…?)こういうところで取材は受けないよ」 「(Q.一言だけ…大連立の…?)新聞記者はね、君たちにそんなことしゃべるもんじゃないんだよ。職業が違う。そういうことは政治家に聞け」 カメラやマイクを向けられると、あくまで「記者」という立場を強調しました。その後、大連立を仲介したことは認めつつも、こんな発言をしています。 渡辺恒雄氏 「私が今、全部バラして書いたら大変な迷惑を受ける人がいるので、次の展開の邪魔になる。だから今は何も書かない。いずれは全部書いてやろうと」 大連立を持ち掛けられた小沢氏は、こう振り返りました。 立憲民主党 小沢一郎衆院議員 「大連立という形以外ないと、感覚的に彼はそう判断したんでしょう。たまたま私もそういう判断だった。その意味では非常に政治感覚の鋭い持ち主だったと思います。私は今でもあの時、大連立をやっていれば、立憲民主党も政党らしい政党に成長できたんじゃないかと思って。その意味では残念です」