【解説】シリア・アサド政権の崩壊によって懸念される新たなテロリスク…「イスラム国」の再生や反中国ジハード
予想外に呆気なかったアサド政権崩壊
イスラエルとレバノンを拠点とする親イラン勢力ヒズボラとの間で停戦が発行した11月27日、隣国シリアで大きな動きが生じた。 【画像】ロシアに亡命したシリアのアサド大統領 同国北西部イドリブ県を拠点とする「シリア解放機構(HTS)」を中核する反政府勢力がシリア第2の都市アレッポに向けて大規模な攻撃を開始し、その4日後の12月1日にアレッポを制圧した。 そして、12月5日のハマ、8日にホムスを次々に制圧し、ホムス制圧の数時間後には首都ダマスカスの陥落が発表され、親子2代にわたって50年以上シリアで実権を握ってきたアサド政権が崩壊した。 アサド政権の呆気ない崩壊を誰が予想していただろうか。 しかし、アサド政権を長年にわたって支援し続けてきたロシアはウクライナ戦争に対応する必要に迫られ、シリアを通してイランから支援を受けてきたヒズボラはイスラエルとの戦闘で組織的弱体化を余儀なくされた。そして、何よりアサド政権の腐敗と軍・兵士の士気低下がアサド政権の崩壊を決定づけたことは想像に難くない。 上述のように、今回のアサド政権の崩壊を主導したのはシリア解放機構であり、この組織は米国などから国際テロ組織に認定され、2011年にシリアで台頭した「ヌスラ戦線(Jabhat al-Nusra)」を前身組織とする。 ヌスラ戦線はイラク・イスラム国(ISI)の支援によって誕生し、イラク・イスラム国の指導者だったアブ・バクル・アル・バグダディ(2014年6月に台頭したあのイスラム国の創設者)がアブ・ムハンマド・ジャウラニをヌスラ戦線のトップに指名した。 ヌスラ戦線にはイラク・イスラム国から大量の武器や人員が送り込まれ、シリア国内で軍や警察などを標的としたテロ事件を繰り返してきたことで、米国は2012年12月にヌスラ戦線を国際テロ組織に指定した。 ヌスラ戦線は厳格なイスラム法による国家統治を掲げてきたが、ジャウラニはアサド政権の打倒というローカルな目標に的を絞り、バグダディがイラク・イスラム国とヌスラ戦線を束ねて「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」と解釈する一方、それを拒否してヌスラ戦線単体で活動を継続する姿勢に徹した。 また、2013年4月にはアルカイダの指導者アイマン・ザワヒリ氏に忠誠を誓い、シリアを拠点とするアルカイダ系組織と位置付けられるようになったが、2016年7月にアルカイダと決別した。その後、ヌスラ戦線は複数の関連組織と合併し、2017年1月にシリア解放機構が結成され、2024年12月に長年の悲願だったアサド政権の崩壊を実現させた。 シリア解放機構のジャウラニは、アサド政権の崩壊はシリア人全体の勝利であり、宗教や宗派、民族の違いを超えて穏健的な統治を実現し、諸外国とも良好な関係を築いていく意思を示している。 また、国連や米国などに制裁やテロ指定の解除を求めたが、中東諸国はシリアにある大使館業務を再開し、欧米諸国も新生シリアと前向きに関係を構築していく姿勢を示している。
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